デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一

2. 平岡円四郎と藤田小四郎

ひらおかえんしろうとふじたこしろう

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 是まで申述べたうちにもある如く、私を一橋家に推薦して慶喜公に御仕へ申すやうにして呉れた人は平岡円四郎であるが、この人は全く以て一を聞いて十を知るといふ質で、客が来ると其顔色を見た丈けでも早や、何の用事で来たのか、チヤンと察するほどのものであつた。然し、斯る性質の人は、余りに前途が見え過ぎて、兎角他人のさき回りばかりを為すことになるから、自然、他人に嫌はれ、往々にして非業の最期を遂げたりなぞ致すものである。平岡が水戸浪士の為に暗殺せられてしまうやうになつたのも、一を聞いて十を知る能力のあるにまかせ、余りに他人のさき廻りばかりした結果では無からうかとも思ふ。平岡円四郎の外に、私の知つてる人々のうちでは、藤田東湖の子の藤田小四郎といふのが一を聞いて十を知るとは斯る人のことであらうかと、私をして思はしめたほどに、他人に問はれぬうちから前途へ前途へと話を運んでゆく人であつた。
 藤田小四郎に会つたのは、私が廿四歳、小四郎が廿二歳の時で、土竈河岸(蠣殻町)に道場を開いて居つた市和田又左衛門といふ人の許に出入りする穂積亮之助――私の親戚の穂積とは全く違ふが――と申す者の紹介によつたのであるが、場所は今の砲兵工廠のある水戸屋敷の近所の鰻屋に於てである。その際私は小四郎に対ひ、水戸が桜田事変の如きを惹起して、単に幕府の当路者にのみ反抗して幕府そのものを攻撃するのに手ぬるい処のあることを責めたり、又水戸の藩内には朋党が盛んで互に相争ふ如き醜態を演ずる事のあるのを攻撃したりなどしたが、小四郎は所謂一を聞いて十を知る鋭敏の頭脳を持つた人であつたから、私より問を発せぬうちに、早や私が聞かうとして居つた条項を能く察知し、チヤンとサキ廻りをして一々之を並べ挙げ、水戸と幕府との関係は斯く斯く、長州との関係はしかじかと詳細に説明弁解したものである。私は之を聞いて廿二歳にしては実に能く気の付く賢い人だと思つたのである。

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平岡円四郎, 藤田小四郎
デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.110-118
底本の記事タイトル:二二五 竜門雑誌 第三四二号 大正五年一一月 : 実験論語処世談(一八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第342号(竜門社, 1916.11)
初出誌:『実業之世界』第13巻第19,20号(実業之世界社, 1916.09.15,10.01)