6. 大事業を成す人の鑑識
だいじぎょうをなすひとのかんしき
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前条にも申述べた平岡円四郎なども、御当人は非凡の才識を有せられた人に相違無いが、人物を鑑別する鑑識眼に於ては乏しかつたらしく、その用ひた人が悉く善良の人であつたとは言ひ得ぬやうに思はれる。私が少壮血気に逸つて、幕府を倒してやらうとの精神で国事に奔走して居る際に、幕府からの手が廻つて、危く馘にでもならうといふところを、平岡円四郎は一橋慶喜公に仕へるやうにして呉れたのであるから、当時平岡は私を識つて呉れたのであると謂へば、平岡にも人物の鑑識眼があつたものだと申さねばならぬ事にもなるが、平岡に当時私が識られたと思ふのは間違ひで、多少事理の解る男をまだ齢も行かぬのに殺してしまうのは可哀さうなものだから助けてやらうぐらゐのところで救つてくれたものらしく、私を観て大に用ゆべしとしたからでは無からうと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(18) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.110-118
底本の記事タイトル:二二五 竜門雑誌 第三四二号 大正五年一一月 : 実験論語処世談(一八) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第342号(竜門社, 1916.11)
初出誌:『実業之世界』第13巻第19,20号(実業之世界社, 1916.09.15,10.01)