3. 秀吉は芸に游び過ぐ
ひでよしはげいにあそびすぐ
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秀吉に反し徳川家康は、死ぬまで勉強を廃めず一生涯勉強して暮らした人で、その病篤く命旦夕に迫るまでになつても猶ほ、国事を憂ひ諸侯を病床に招き、「我れ死して秀忠に若し失敗あらば、侯伯の其器に当る者代つて天下の権を取るべし。天下は一人の天下に非ず」などと遺言したところは、如何に家康が勉強の人であるかを窺ひ知り得られる。斯く家康は死ぬまで勉強であつたから、秀吉の如く晩年を汚さず、有終の美を済して瞑目することが出来たのだ。勉強して暮らさねば、秀吉の如き豪傑でもその最後が芳しく無いものである。
西園寺公の如く聡明で目先途の見える方から、私の如く冗らぬ事にまで勉強し齷齪ばかりして忙しく其日を送つてをる者を観られたら、如何にも馬鹿な人間のやうになつて見えるやも知れぬが、又私から西園寺公を観れば、同公は如何にも勉強の足らぬ人になつて見え、什麽しても猶勉強し、西園寺公の西園寺公たる本領を発揮して、実質の事に骨折つて戴きたいものだと思ふ。それも、病弱であるとか、甚しく頽齢に入つたとかいふのならば致方も無い事だが、西園寺公は未だ元気を喪はれるほどの年齢でも無い。然るに芸に游ぶばかりで余裕のみの人となつてしまはれ、同公の本領を発揮して実質の事を行る為に骨を折られぬのは、全く勉強の足らぬ為であるとしか私には想へぬ。是非西園寺公にもつと勉強して本当の事に力を注いでもらひたいものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(34) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.239-245
底本の記事タイトル:二五六 竜門雑誌 第三五九号 大正七年四月 : 実験論語処世談(卅四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第359号(竜門社, 1918.04)
初出誌:『実業之世界』第15巻第2,3号(実業之世界社, 1918.01.15,02.01)