デジタル版「実験論語処世談」(34) / 渋沢栄一

6. 団十郎を作れる家系

だんじゅうろうをつくれるかけい

(34)-6

 九代目団十郎はその上文筆の嗜みもあり、之に游ぶ事ができたので一層人物を揚げ、立派な人々とも交際し得らるるやうになつたのだが九代目団十郎をして彼の如くに成らしむるには、其の家系も与つて力があらうと私は思ふのだ。いくら九代目団十郎の天品が秀れて居つても、家系が宜しく無かつたならば、九代目も或は那的までに成り得られなかつたかも計り難いのである。団十郎の祖先は素と堀越十郎といふ甲州の武士で、武田氏の滅亡後、農に帰し、それからその子孫が江戸へ出て地子総代(地主の代理者)を勤めて居つたのだが、幡谷重蔵といふものの代に至つてからその長男が俳優となり、初代団十郎と称するに至つたのである。斯んな血統であつたから、団十郎の家の代々には俳優を職として居りながらも野卑下劣に流るる如き者無く、みな俳句を詠み、文筆も相当に達者であつた上に又品行も方正で、九代目の兄に当る八代目団十郎の如きは、父母に孝行で能く弟妹を労はり、父の弟子を困窮の間にも能く面倒見てやつたといふので、奇特の趣其筋へ聞こえ、弘化二年五月八日北町奉行鍋島内匠頭より鳥目十貫文を賞与せられたほどである。この八代目団十郎は、婦女子に媚び富貴に阿る如きことをせず、俳句や絵画にも堪能で「父と恩」といふ著書さへあるほどだ。
 二代目団十郎は俳号を栢莚と称したが、これが又却〻俳句に堪能で俳人の宝井其角、画家の英一蝶、それから俳号を子葉と称した赤穂四十七士の一人なる大高源吾なぞとも初代以来別懇の間柄であつたらしく、書籍骨董等を愛し、「老の楽」「栢莚舎事録」なぞと題する日記様の著書もある。彼の有名な幕府の老女江島と山村座の俳優生島新五郎との騒ぎは、恰度二代目団十郎の時代に起つた事件だが、二代目は江島と何の関係も無かつたので、単に訊問を受けたのみで無罪放免になつたのである。然しこの事件に関係のあつたものは、生島新五郎以下夫々処刑を受け、山村座は断絶になつてしまつたから、九代目団十郎は家代々の口碑により斯んな事を耳に挟んで居つたので、如何に不品行が芸道に禍ひする処多きかを知り、旁〻一層品行を慎み、良家の娘や何かを嗾かす如き野卑下劣な事をしなかつたものと思はれる。

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キーワード
市川団十郎, 家系
デジタル版「実験論語処世談」(34) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.239-245
底本の記事タイトル:二五六 竜門雑誌 第三五九号 大正七年四月 : 実験論語処世談(卅四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第359号(竜門社, 1918.04)
初出誌:『実業之世界』第15巻第2,3号(実業之世界社, 1918.01.15,02.01)