デジタル版「実験論語処世談」(34) / 渋沢栄一

7. 九代目は座を締めた

くだいめはざをしめた

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 四代目団十郎も一風変つた気骨の秀れた俳優だつたが、五代目団十郎は又却〻人格も高く常識にも富み、その和歌、俳句、随筆等に見るべきものが甚だ多いのである。就中「徒然草」の文章に擬へて作つた「徒然吾妻詞」の如きは、その文章も其の言ふ処も実に堂々たるもので、常識修養の為には此上も無い良教科書であると謂つても可いほどだ。七代目団十郎も俳号を白猿と称し、文筆に秀で、数冊の著書がある。こんな風で団十郎の家には代々品格の立派な文事の嗜みあるものが現れたので、九代目団十郎も其感化を受けて、自然人格も立派になり、文事の嗜みもあり、絵や書も旨く出来るやうになつたものだと私は思ふのだ。如何に九代目に人並秀れた天品があつても、団十郎の家の代々が斯んなで無ければ、迚も那的までは成れなかつたらう。
 九代目のみならず、団十郎の家の代々はみな立派な家へ出入して交際したもので、それは初め俳句や和歌を詠むといふのが原因で俳人と交際して居る中、俳句の好きな良家の隠居などと懇親になり、遂に其れが縁で麾下の家なぞへも出入するやうになり、それが九代目団十郎の時まで継続いて居つたのだが、九代目になつて維新の大変動が起り時勢が九代目の如き品格のある芸人に取つて誠に好都合になつて来たものだから、団十郎は此の機運に乗じて祖先以来の家風を愈よ発揚しその大を成すに至つたのである。
 九代目団十郎とは私も親しく会つて談話をしたこともあるが、決して従前の芸人が得意にした如き座敷を壊すやうな野卑下劣な話なぞせず、芸道や文事、骨董なぞに就ての談話ばかりをしたもので、自宅に於てさへ至つて行儀よく、如何なる炎暑にも肌を脱がず、足を崩すとか寝転ぶとかいふ事を絶対に為なかつたほどの人だから、団十郎が客の座敷へ現れば、座敷が壊れるどころか却つて引締まり、今まで客同志だけのうちは胡坐をかいて居つても、団十郎の姿が座に見えればチヤンと坐り直したほどのものである。斯く客に窮屈がられたほどゆゑ自づと尊敬せらるるやうにもなり、惹いて一般俳優の位置を高める事になつたのである。勿論時勢の変化にも因るのだが、この点に於て九代目団十郎の功績は甚大なるものであると謂はねばならぬ。

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市川団十郎,
デジタル版「実験論語処世談」(34) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.239-245
底本の記事タイトル:二五六 竜門雑誌 第三五九号 大正七年四月 : 実験論語処世談(卅四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第359号(竜門社, 1918.04)
初出誌:『実業之世界』第15巻第2,3号(実業之世界社, 1918.01.15,02.01)