4. 三遊亭円朝の落語革新
さんゆうていえんちょうのらくごかくしん
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然し後日には名人と呼ばるるほどの者に成る人の事だから、妙な軽口みたやうな落語だとか或は大袈裟な芝居懸つた真似なんかし無くつても、何とかシンミリと素話丈けで聴衆を感動させ、泣かせたり笑はせたりして、之によつて因果応報の道理を覚らせ、勧善懲悪の道を心得させるやうにする工夫は無いものかと考へ、遂に人情話といふものを発明し、素話を演ることにしたのである。それが大変に時世の嗜好に投じ、ウケるやうになり、名人の誉れを揚げるまでになつたのだ。
一体自分で発明した新しい事により、世間の人を「成る程!」と感服させ得る人には、何処か他人の及ばざる優れた長処のあるものだ。円朝がその発明した新しい話方によつて落語界に一新紀元を劃し、然も世間の人々を感服さして聴かせる事の出来たのは、円朝に他の落語家の持つて居らぬ優れた豪い処があつたからだ。今日でも円朝一門の弟子等が演ずる「安中草三郎」とか「牡丹灯籠」とか、或は又「塩原多助」とか云ふ人情話はみな円朝が自分で作つて話したものである。畢竟、円朝は話術が旨かつたばかりで無く却〻学問もあつて文事に長け、能く読書して居つたので、あんな纏まつた長い人情話を作ることが出来たのだ。私は親しく円朝と会談したことは無いが、かく学問があり、文事の趣味もあつたから、何んな立派な人とも話のできたもので、高貴の人の御前だからとて、別に臆劫れるやう事なぞは無かつたのである。この点から謂へば、円朝には本業の芸以外、なほその芸に遊び得る余裕のあつたものだと謂はねばならぬ。
- デジタル版「実験論語処世談」(34) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.239-245
底本の記事タイトル:二五六 竜門雑誌 第三五九号 大正七年四月 : 実験論語処世談(卅四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第359号(竜門社, 1918.04)
初出誌:『実業之世界』第15巻第2,3号(実業之世界社, 1918.01.15,02.01)