デジタル版「実験論語処世談」(42) / 渋沢栄一

3. 副島種臣と江藤新平

そえじまたねおみとえとうしんぺい

(42)-3

子曰。蓋有不知而作之者。我無是也。多聞択其善者而従之。多見而識之。知之次也。【述而第七】
(子曰く、蓋し知らずして之を作す者あり。我は是れ無き也。多く聞き其善き者を択びて之に従ふ。多く見て之を識る。知の次ぎ也。)
 道徳の三昧に入つてしまへば、人は敢て多く聞き多く見、強ひて取捨選択の労を親らするまでも無く、無意識の間に考へ、無意識の間に行ふところが其儘善で、其儘道に合致することになるから、徳行も一種の遊戯の如きものとなり、之を称して知の上々なる上智と言ひ得らるるだらうが、上智の次ぎの学知といふのは、成るべく多く聞き、成るべく多く見、そのうちより取捨選択し、善なる者を択んで之を認識し、之に従つて稽へ、之に依つて行ふ事である。然るに、下愚に至つては、是非善悪の分別無く、何んでも行き当りバツタリ心に浮んだままの行動をするものである。つまり、何事にも智慮を運らさず、無分別の行動に出づるのが是れ下愚だ。悲哉、世間には随分斯る下愚の人が多くある。
 茲に掲げた章句は孔夫子が蓋し自ら謙遜して発せられた言に相違無からうが、自分は生れながらにして無意識のまま善を行ひ道に合致し得るほど道徳の三昧に入つた上智の人間では無い。然ればとて善悪是非の弁別も無く何が何やら訳が解らず行き当りバツタリ思つたままを無茶苦茶に行ふといふほどの無分別を敢てする下愚の人間でも無い、力めて学ぶ事に苦心し、見聞を博くして知識を天下に求めその善なる者を択んで行ふ学知階級に属する人間であると仰せられたのである。
 多く聞き多く見、そのうちより最も善き者を択み、之に従つて行はねばならぬからとて、余り見聞ばかり博くしても、その人に見識が無ければ孰れを択んで然るべきものか、見当が付か無く成つて迷ふやうになるものだ。故に何んでも見聞ばかり多くすれば善いというわけのものでも無い。さればとて一切他人の意見には耳を仮さぬというやうに成つてしまつても困る。維新頃の人々のうちで、他人の意見に余り耳を仮さず、自分の意見を飽くまで貫徹しようとする傾向のあつた人は、副島種臣卿と江藤新平とだらうと思ふ。副島卿は見識もあり学問もあり、又立派な品格の人でもあつたが、決して他人の意見を参酌するといふ風の心情を持つた人では無かつた。何んでも自分の思つた通りに行ふ性質であつた。然し其れでも素が忠良の人物であつたから、邪道に踏み入る如き事を為さず、能く終りを完うするを得たのであるが、晩年に及んで存外振はなかつたのは、何んでも自分の意見を押し通さうとする性格のあつた為であらうかと思ふ。什麽も副島卿は、事物を詮衡する綿密の足らなかつた人のやうに思はれる。
 江藤新平も、他人の意見に耳を仮さず、何んでも独断専行、自分の思ふままを飽くまで押し通して行はうとする人であつたが、之れは又副島卿などと違ひ、「韓非子」を愛読して韓非子に私淑し、前条にも申して置いた如く、純然たる刑名学者に成つてしまひ、目的の為には手段を択まぬといふ如き流義の人であつたから、遂に其の私淑した韓非子に過まられて邪道に入り、佐賀の乱を起して賊名を蒙るやうに成つたのである。あの佐賀の乱なんかも、初めから起す積でも無かつたらうが、目的の為には手段を択まぬといふ主義であつた為、遂ひ何時の間にか知らず知らず踏み込んで引きずられ、あんな事になつてしまつたのだらう。

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デジタル版「実験論語処世談」(42) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.327-333
底本の記事タイトル:二八〇 竜門雑誌 第三六八号 大正八年一月 : 実験論語処世談(第四十二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第368号(竜門社, 1919.01)
初出誌:『実業之世界』第15巻第22号,第16巻第1号(実業之世界社, 1918.12.01,1919.01)