5. 正義の力遂に勝つ
せいぎのちからついにかつ
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欧洲戦争も、観たところ一時は無理が通つて道理が引つ込み、人多くして天に勝つたかの如き形勢となり、人道を無みする独逸軍の勢力は駸々として日々に益〻昂り、聯合軍の勢力萎微甚だ振はず、殊に昨年(大正七年)四月の如き、吾々をして聯合軍の為に尠なからぬ杞憂を懐かしむるに至つたほど不利な形勢に陥り、この分では道理のある聯合軍側も当分無理な独逸に頭を押へ付けられてしまつて、逆境に苦まねばなるまいかと思われて居つた。
然し独逸の勢力が一時は如何に旺盛の如くに見えても、到底道理によつて立つ聯合軍側に勝ち得らるべき筈無く、最後に独逸の敗北となるべきは私の信じて疑はなかつた処である。それにしても昨年春あたりの形勢では、斯くなるまでに猶ほ多くの歳月を要するらしく見えたので、或は余生の短い私なぞの生存してるうちには、聯合軍側の勝利によつて世界の平和を見られるまでには成るまいとも感じられたのだが、意外にも独逸が早く降参してしまつて、昨大正七年十一月十一日休戦条約の調印を見るに至り、歓喜と光栄とのうちに茲に目出度く大正八年の新春を迎ふるを得たのは、御互に欣快禁じ難しとする処である。古くから「不義の栄華は浮べる雲」と謂ひ做さるるほどで、よしんば那的勢ひで独逸が一時聯合軍に勝つてみたからとて、独逸の国家は決して永久に繁栄し得らるるものでは無いのである。それは一時無理が通つて道理が引つ込んだまでの事ゆゑ、永いうちには道理が頭を擡げ出して来て、屹度無理を押さへつけてしまひ、独逸の繁栄を害するやうになるのが天地の大法であるからだ。
- デジタル版「実験論語処世談」(42) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.327-333
底本の記事タイトル:二八〇 竜門雑誌 第三六八号 大正八年一月 : 実験論語処世談(第四十二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第368号(竜門社, 1919.01)
初出誌:『実業之世界』第15巻第22号,第16巻第1号(実業之世界社, 1918.12.01,1919.01)