デジタル版「実験論語処世談」(42) / 渋沢栄一

6. 富力の勝利に非ず

ふりょくのしょうりにあらず

(42)-6

 杜牧之の「阿房宮賦」に、「楚人の一炬、憐むべし焦土たり」の短い一句を以て、流石に宏壮を極めた秦の阿房宮も楚人項羽の放けた松火一本で焼き亡ぼされてしまつた消息を巧に叙しているが、不義の栄華は総てみなこの阿房宮の如く、瞬く間に亡びてしまふものである。若し独逸の無理が通つて一時道理が引つ込み、独逸の勝利になつたとすれば、カイゼルは必然之に勝ち誇り、愈よ持前の驕慢横暴を恣にするに相違無い。カイゼルが驕慢横暴となればその左右の臣も驕慢横暴となり、独逸国民も亦驕慢横暴を働くやうになるもので、「阿房宮賦」に「嗟夫れ一人の心は千万人の心なり、秦紛奢を愛すれば人も亦其家を念ふ」とあるのがそれだ。国の上下を挙げて斯く驕慢横暴に流れてしまへば、秦の末に漢の高祖の如き者が現れて、秦を討つて之を亡ぼすに至つたと同じやうに、独逸も必ずや今度の欧洲戦争前にも増した怨恨を世界の到る所より受け、到底立ち行かれ無くなり、誰かに亡ぼされてしまふのが必然の運命である。然し斯る二重の機会を待つにも及ばずして、今度の戦争で直に独逸の無理が敗けて降り、休戦条約の調印を見るに至つたのは如何にも歓ばしい事だ。
 独逸が意外にも斯くばかり早く降参してしまつたのは、固より聯合軍側の持久的努力に依るところ多きは申すまでも無い事だが、米国大統領ウヰルソンが蹶然として起ち、米国をして聯合軍側に加担させてしまつたのに負ふ処が頗る多いと謂つても可いのである。米国が参戦するまでになるのには、客船ルヂタニア号が無警告で独逸潜航艇に撃沈せられて以来、幾回となく独逸との間に文書の往復を重ねたもので其間にウヰルソンは、若し戦が聯合軍側の不利に帰し、独逸をして世界の舞台に今後益〻跋扈せしむるやうな事に成りでもすれば、正義と人道との為に由々しき大事を惹き起すに至るべきは勿論、人類全般の不幸之より大なる無きを看破し、茲に意を決して世界の人道と正義とを代表して独逸を膺懲すべく米国を参戦せしむるに至つたのである。独逸のカイゼルが亜米利加のウヰルソンに敗けて休戦を提議するに至つたのは、是れ即ちウヰルソンによつて代表せられた正義と人道とがカイゼルによつて代表せられた横暴と不仁とに勝つたのだ。
 昨大正七年十一月十一日愈よ休戦条約の調印せらるるや、東京の実業団は同月十六日朝野の名士有力者を丸の内の東京商業会議所に会して祝賀会を開き、内閣諸大臣も之に列席せられたが、席上藤山同会議所会頭は、戦後の経営に就ては一に実業の発展に依らざるべからざること故、これが為政府も大に力を尽し、官民相一致して進みたいと云ふ意を演説せられたのである。之に対し原内閣総理大臣は、総じて従来の戦争では武力の強い方が勝つのを原則としたが、今回の欧洲戦争ばかりは従来の原則を破り、独逸が未だ武力に於て聯合軍に勝る処あり、戦場では独逸が猶ほ優勝の位置にあつたにも拘らず却て独逸の敗北となつたのは、独逸は武力に於てこそ聯合軍に勝りはしたれ、富力に於ては遥に聯合軍側の諸国に及ばなかつたからで、つまり富力の戦争が聯合軍の勝利に帰せる結果、全局の戦争も亦聯合軍の勝利に帰せる次第ゆゑ、戦後の日本は大に富力の涵養に力めざるべからざる事情にある、従つて今後益〻実業家諸氏の奮励を望むといふやうな意味を演説せられたのである。

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キーワード
富力, 勝つ, 非ず
デジタル版「実験論語処世談」(42) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.327-333
底本の記事タイトル:二八〇 竜門雑誌 第三六八号 大正八年一月 : 実験論語処世談(第四十二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第368号(竜門社, 1919.01)
初出誌:『実業之世界』第15巻第22号,第16巻第1号(実業之世界社, 1918.12.01,1919.01)