デジタル版「実験論語処世談」(42) / 渋沢栄一

7. 道徳の伴ふ富力の勝

どうとくのともなうふりょくのかち

(42)-7

 席上私にも何か一つ演説せよとの事であつたから、敢て異様の意見を立つる為でも何んでも無く、原首相の演説せられた趣旨を単に補はうとの精神から、私は聯合軍側の富力が独逸の富力に勝つてたのが原因で結局聯合軍側が戦勝者の位置に立ち得るまでに成つたのは、如何にも原首相御演説の通りに相違無いが、聯合軍側の富力には道徳力が伴つてたから、それで其の富力が頗る有力なる勢力となり、遂に敵を降参させる事のできるまでに成つたもので、如何に聯合軍に物質上の富力のみが豊かであつても、之に道徳力が伴はなかつたとしたら、到底独逸に勝ち得なかつたのである。つまり聯合軍の勝つたのは其道徳の力で独逸の不道徳を破れるものゆゑ、日本も戦後は単に物質上の富力を涵養するのみに力めず、まづ第一に国民道徳の涵養に努力し、富力に伴ふに道徳力を以てし、経済と道徳との調和一致によつて茲に獅子奮迅の力を得、よつて以て世界の競争場裡に立つやうに致したい、道徳力の伴はぬ富力は所謂不義の栄華で、浮べる雲の如く、経済戦争の間に立つても到底勝利を得らるるまでの力の無いものであるとの意を演説したのだ。
 私は、戦後に於ては国家の富力を涵養するのが当然必要の大事であると思ふと共に、国民道徳の向上進歩を図るのが更に一層緊急の事で経済と道徳との一致無くしては、如何に産業が勃興しても国力の発展を期し得られぬものであると信ずるのだが、それにつけても益〻「論語」を普及し、之を実業家に読んで実行してもらひたいと思ふのである。「論語」は実に良く出来てる経書で、章々句々悉く之れ撃てば響くの概あり、その間に空理空想といふやうなものが殆んど無い。「孟子」なんかも実地の経済策を随分説いてるが、理想論に傾く弊があり之を読んでも直ぐ行ひ得られぬのだ。
 西洋の哲学者だとか倫理学者だとかいふ者の学説も亦、兎角理想論に走りたがり、「論語」の如く、読めば直ちに起つて行ひ得る実地に適切な意見では無いのである。総じて理想論には反動の傾向を帯びた矯弊的な短所のあるもので、唯心論の盛んであつた後には唯物論起り唯物論が盛んになれば今度は又、唯心論が起るといふやうな順序となり、一時欧羅巴にも国家主義の学説が盛んであつた後には、ヂョン・スチュアート・ミルの如き個人主義の説が起つたのである。宗教の如きものにすら猶且反動的傾向のあるもので、仏教なぞも印度に於ける血族階級の制度に反動して起つたものだと謂へば謂へぬでも無く、「四河海に帰すれば同一鹹味となり、四姓仏に帰すれば同一釈氏と名づく」と釈迦は説いたのである。同じ仏教でも鎌倉時代には「直指人心見性成仏」の臨済禅が盛んであつたかと思へば、日蓮が直ぐ其後から出て「禅天魔」と激しく禅宗を罵つてるでは無いか。親鸞聖人の他力本願説なんかも、禅宗が自力を本位としたのに反動して起つた宗教観であると視ても差支無いのである。同じ真言宗にも高野山派があるかと思へば之に対して豊山派がある。

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キーワード
道徳, , 富力, 勝つ
デジタル版「実験論語処世談」(42) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.327-333
底本の記事タイトル:二八〇 竜門雑誌 第三六八号 大正八年一月 : 実験論語処世談(第四十二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第368号(竜門社, 1919.01)
初出誌:『実業之世界』第15巻第22号,第16巻第1号(実業之世界社, 1918.12.01,1919.01)