デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一

3. 大久保利通に嫌はる

おおくぼとしみちにきらわる

(4)-3

 壮年の頃の逸話をした序であるから、余談ながら一つ申述べて置くが、若いうちは兎角、何事にも率直になり勝ちなもので、思ひ内にあれば色、外に顕れ易く、遠慮なく思つたまゝ言うてしまふから、他人に嫌はれたりすることにもなる。然し、永いうちには、他人も諒解して呉れるものである。私なぞも壮年の頃は随分率直で、思つたことは包まず憚らず、ドシ〳〵言うてしまふのを例にして居つたので、大久保利通さんには大層嫌はれたものである。
 私は明治二年の暮新政府に仕官して大蔵省に這入つてから三年の暮までは、主として大隈伯に使はれたのだが、四年の春には大蔵大輔であつた大隈伯が参議に転じ、大蔵卿であつた伊達正二位も辞職されて大久保利通公が大蔵卿になられ、大阪の造幣寮の頭であつた井上侯が大隈伯の後を襲うて大蔵大輔に任ぜられ、以来、私は主として井上侯に使はれる事になつた。
 井上侯は頗る機敏の人で、見識も高く、能く私を諒解して下されたのみならず、又至つて面白い磊落な質で、私と一緒になつて楽む所謂遊び仲間にもなられたので、侯と私とは肝胆相照らす親しい間柄にまで進んだが、明治四年の八月、井上侯の大蔵大輔の下に、私が大蔵大丞であつた頃のことである、大蔵卿の大久保さんが、一日突然に、陸軍省の歳費額を八百万円、海軍省の歳費額を二百五十万円に定めることにしたからとて、当時私と同列の大蔵大丞であつた谷鉄臣、安場保和などを喚び寄せ、その可否を諮問せられた。当日は如何したものか井上侯は其の会議に参与しなかつたのである。

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大久保利通, 嫌はる
デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)