デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一

5. 大久保卿怫然色をなす

おおくぼきょうふつぜんいろをなす

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 総じて薩州人には一種妙な癖があつて、何か相談でもせられた時に直ぐ夫れに可否の意見を述べると之を悦ばず、熟考した上に御答へするとでも申して一旦退出がり、翌日にでもなつてから意見を述べると之を容れるといふやうな傾がある。薩州人であつたから、流石の大久保卿にも矢張、この癖があつた。然るに、私が卒爾として、「量入為出」の財政原則から説いて、諮問会議の席上直に卿の意見に反対を表明したので、維新三傑の一人と称せられるほど偉い方ではあつたが、私と同列の安場とか谷とか、当時何れも五十以上の老大丞等が、大久保卿の人格に稍〻圧せられた気味で別に之といふ意見も述べず、唯々として賛意を表せるに拘らず、漸く三十を越したばかりの最も年齢の若い私が、折角卿が心に決定て居られた処に反対したのを聴かれて、小癪な奴だとでも思はれたものか、大久保卿は怫然として色を帯び、「そんなら渋沢は陸海軍の方は如何でも関はぬといふ意見か」と私に詰問せられたのである。之に対し私は「如何に渋沢が軍事に通ぜぬとは申しながら、兵備の国家に必要であるぐらゐのことは心得て居る。然し、大蔵省で歳入の統計が出来上らぬ前に、巨額な支出の方ばかりを決定せられるのは危険この上もなき御処置である」と、更に抗弁したが、他の大丞に反対意見のものが無かつたので、遂に大久保卿の意見通りにグツ〳〵と決定せられてしまつた。

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キーワード
大久保利通, 色をなす
デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)