デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一

9. 私の子に対する考へ

わたしのこにたいするかんがえ

(4)-9

 父が斯る思想を以て私に対して下された為、自然その感化を受けたものか、私も、私の子に対しては、父と同じやうな態度を以て臨むことにして居る。私が此く申すと烏滸がましくはあるが、何れかと云へば父よりも多少優れたところがあつたので、父と全く行動を異にし、父と違つたところがあつて、父の如くになり得なかつたのである。私の子女等は将来如何なるものか、素より神ならぬ私の断言し得る限りでないが、今の処では、兎に角、私と違つたところがある。この方は私と父とが違つてた違ひ方とは反対で、何れかと申せば、劣る方である。私よりも劣るので、私と違つてるのである。然し、斯く私と違ふのを責めて、私の思ふ通りになれよ、と子女達に強ひて試みたところで、それは斯く注文して強ひる私の方が無理である。私の通りになれよ、と私に強ひられても、私のやうになれぬ子女は什麽してもなれぬ筈のものである。然るに、猶強ひて子女等を総て私の思ふ通りにしようとすれば、子女等は、私の思ふ通りになり得ぬ丈けのことで、不孝の子になつてしまはねばならぬ。私の思ふ通りにならぬからとて、子供を不孝の子にしてしまふのは忍ぶべからざる事である。
 故に私は子が孝を為るのでは無い、親が孝を為せるやうにしてやるべきものだといふ根本思想で子女等に臨み、子女等が総て私の思ふやうにならぬからとて、之を不孝の子だとは思はぬことにして居る。

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渋沢栄一, , 考へ
デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)