2. 貞女の心事と私の心事
ていじょのしんじとわたしのしんじ
(4)-2
私は、之を読むや、将軍家に於かせられて既に政権を奉還し、私が旧主の臣たるを得ざるに至つた上は、猶おまさが其の夫と死に別れたのと同じやうなもので、私が新政府に仕官を勧められるのは、又恰もおまさが再縁を勧められるのと毫も異りが無い事と思つたから、私とてもおまさと同じ心になり、旧主に対する主従の義を全うする為、断じて新政府の治下に官途に就くまいと決心したのである。そんなら、おまさの如く自刃して相果てたら可からうといふに、それでは犬死になるので、私は官途に就かぬ代り、実業方面に働いて邦家の為に尽さうといふ気になつたのである。当時、私が山陽の文を読んで感じた際の斯の感想を蕪文に綴つて、仏蘭西に同行した杉浦愛蔵といふ知人の父が先づ静岡での漢学者であつた処より、此の人に見てもらつたが、非常に賞めて呉れて、その草稿は今でも猶筐底に保存してある。そのうち発表する時機もあらう。
- デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
-
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)