デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一

6. 薩人の暴戻を憤る

さつじんのぼうれいをいきどおる

(4)-6

 私は、その初め幕府を倒すのを志にしたほどのものゆゑ、幕府を倒して出来た新政府に対して決して悪感を懐いてたのでは無いが、薩人が暴戻であるとの感は多少あつたものである。然るに、大正四年の今日になつても、当時私が持つて居つた「量入為出」の意見は正当で、歳入の判然せぬうちから支出の方ばかりを決めようとした大久保卿の意見を誤謬つてると、私は猶思つて憚らぬほどで、又誰に聞かしても当時の私の意見の方が正当であるのだから、大久保卿が「渋沢は陸海軍が如何なつても可いと思つてるのか」と、怫然色を作して私を圧しつけるやうにして詰問せらるゝのを見ては腹の虫が承知せず、これも亦例の薩人の暴戻であるのだな、と感じて不快で堪らず、翌日直に辞表を提出しようと決心し、その夜、井上侯の許に相談に出かけることにした。私は大久保卿を偉い人であるとは思つてたが、何だか厭やな人だと感じてたものである。大久保卿も亦、私を厭やな男だと思はれてたと見え、私は大変大久保卿に嫌はれたものである。
 井上侯の許に辞職の相談に行くと、侯は懇々と私を諭し「財政整理は追々実行するから、折角、廃藩置県の制をも布くことにした今日、せめては廃藩置県の実が挙り、新政の一段落がつくまで留任せよ」と勧め、差当り大阪造幣寮の整理を行つて呉れぬかと頼まれ、十一月まで同地に滞在し、遂に私は明治六年に至る間、不本意ながら官途にあつたのである。私も斯んな調子で、壮年の頃は、一代の人傑であつた大久保卿にさへ誤解されて嫌はれたものである。然し、永いうちには結局、真実の処が他人にも知られるやうになるもの故、青年諸君は、此の辺の消息を能く心得置かるべきである。

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キーワード
薩人, 薩摩, 暴戻, 憤る
デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)