6. 薩人の暴戻を憤る
さつじんのぼうれいをいきどおる
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井上侯の許に辞職の相談に行くと、侯は懇々と私を諭し「財政整理は追々実行するから、折角、廃藩置県の制をも布くことにした今日、せめては廃藩置県の実が挙り、新政の一段落がつくまで留任せよ」と勧め、差当り大阪造幣寮の整理を行つて呉れぬかと頼まれ、十一月まで同地に滞在し、遂に私は明治六年に至る間、不本意ながら官途にあつたのである。私も斯んな調子で、壮年の頃は、一代の人傑であつた大久保卿にさへ誤解されて嫌はれたものである。然し、永いうちには結局、真実の処が他人にも知られるやうになるもの故、青年諸君は、此の辺の消息を能く心得置かるべきである。
- デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)