デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一

8. 私の父の孝道論

わたしのちちのこうどうろん

(4)-8

 斯る事を申述べると如何にも私の自慢話のやうになつて恐縮であるが、実際の事故、憚らず御話しする。確か私の二十三歳の時であつたらうと思ふが、私の父は私に向ひ「其許の十八歳頃からの様子を観て居ると、什麽も其許は私と違つたところがある。読書をさしてみても能く読み、又何事にも悧潑である。私の思ふところから謂へば、永遠までも其許を手許に留めて置いて、私の通りにしたいのであるが、それでは却て其許を不孝の子にしてしまふから、私は今後其許を私の思ふ通りのものにせず、其許の思ふまゝに為させることにした」と申されたことがある。
 如何にも父の申された如く、その頃私は、文字の力の上から云へば不肖ながら或は既に父よりも上であつたかも知れぬ。又、父とは多くの点に於て不肖ながら優つたところもあつたらう。然るに、父が無理に私を父の思ふ通りのものにしようとし、斯くするのが孝の道であると、私に孝を強ひる如きことがあつたとしたら、私は或は却て父に反抗したりなぞして、不孝の子になつてしまつたかも知れぬ。幸に斯ることにもならず、及ばぬうちにも不孝の子にならずに済んだのは、父が私に孝を強ひず、寛宏の精神を以て私に臨み、私の思ふまゝの志に向つて私を進ましめて下された賜である。孝行は親がさして呉れて始めて子が能きるもので、子が孝を為るのでは無く、親が子に孝を為せるのである。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)