8. 私の父の孝道論
わたしのちちのこうどうろん
(4)-8
如何にも父の申された如く、その頃私は、文字の力の上から云へば不肖ながら或は既に父よりも上であつたかも知れぬ。又、父とは多くの点に於て不肖ながら優つたところもあつたらう。然るに、父が無理に私を父の思ふ通りのものにしようとし、斯くするのが孝の道であると、私に孝を強ひる如きことがあつたとしたら、私は或は却て父に反抗したりなぞして、不孝の子になつてしまつたかも知れぬ。幸に斯ることにもならず、及ばぬうちにも不孝の子にならずに済んだのは、父が私に孝を強ひず、寛宏の精神を以て私に臨み、私の思ふまゝの志に向つて私を進ましめて下された賜である。孝行は親がさして呉れて始めて子が能きるもので、子が孝を為るのでは無く、親が子に孝を為せるのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(4) / 渋沢栄一
-
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.664-668
底本の記事タイトル:一九五 竜門雑誌 第三二八号 大正四年九月 : 実験論語処世談(四) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)
初出誌:『実業之世界』第12巻第14号(実業之世界社, 1915.07.15)