デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一

1. 客に接する二様の見地

きゃくにせっするにようのけんち

(5)-1

 論語に就ての談話を申述べることにして置きながら、前回まで御話致した所は、何れかと申せば論語の章句に就てよりも、余談の身の上話になつてしまつたやうな傾きがある。然し、これとても「実験論語処世談」と謂ふ題目の上から観察すれば、必ずしも無益と申すものに非るべく、多少は青年子弟諸君の御参考にならうかと存ずる。又、論語の章句を逐うて逐章講義を致すやうな事は、浅学の私には到底能きぬのみならず、之を聴聞《おき》きになる方でも興味が少からうと信ずる。依て、今後も前回までの如く、論語の章句中で私を最も深く感動させ、また私の深く感銘して居るものをポチ〳〵抜いて、私の実験を取交ぜ談話致す事にする。
 一体人が人と接するに当つて懐く心情には二様ある。その一つは、何でも赤いものを見たら火事と思へ、人を見たら泥坊と思へと謂つたやうな調子で、遇ふほどの人見るほどの人を悉く皆、自分に損を懸けに来た人、自分より何か盗んで行かうとして来た人、自分を欺く為に来た人だと思つて接する心情で、今一つは恰度之と反対に、遇ふほどの人見るほどの人を総て皆誠意あるものとして遇し、自分も亦誠意を披瀝して之に接する心情である。人によつて客に接する法が斯く二つに別れる。

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キーワード
, 接する, 二様, 見地
デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.670-676
底本の記事タイトル:一九七 竜門雑誌 第三二九号 大正四年一〇月 : 実験論語処世談(五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第329号(竜門社, 1915.10)
初出誌:『実業之世界』第12巻第15号(実業之世界社, 1915.08.01)