デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一

3. 私は門戸開放主義

わたしはもんこかいほうしゅぎ

(5)-3

 私は人に接し客を見るには、悉く之を泥坊と思ふが如き心情を以てせず、誠意を披瀝して客に接し、誠心を体して人を引見することに致して居る。決して疑ぐらずに誠を以て総ての人を遇するのが私の主義である。
 世間には又、客の来訪を受けても之に接するのを頗るオツクウなものに考へて、始めて来訪した人などに対しては、力めて遇はぬやうにせらるゝ方々もある。殊に、相当世間に名を成しでもした豪い方などになると、一層この傾きが甚しい。私が知人の宅を訪うてる際なぞにこれは親しく実見する所であるが、来訪者があるのを召使が主人に取次ぎでもすると、「今日は忙しいから遇はれぬ」とか、「何時遇へるか解らぬ」とか、乃至は又「当分遇へる日が無い」とかと、格別の忙しい事や故障が無ささうであるのに、強ひて来客を断り、何だか人に遇ふのを大変面倒な事にして居らるゝ方を見受ける場合が多い。少し名のある人は成るべく客に遇ふのを避けようとするのが、一般の傾向である。
 然し私は既に前回までにも申述べて置いた如く、誰様《どなた》にでも、病気か止むを得ざる支障の無い限り、決して御面会を謝絶せず、御来訪下さる方には必ず御目にかゝることにして居る。これは昔も今も変らず明治四年或はそれ以前より今日まで実行し来つた所である。

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キーワード
渋沢栄一, 門戸開放, 主義
デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.670-676
底本の記事タイトル:一九七 竜門雑誌 第三二九号 大正四年一〇月 : 実験論語処世談(五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第329号(竜門社, 1915.10)
初出誌:『実業之世界』第12巻第15号(実業之世界社, 1915.08.01)