デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一

11. 幕政廃止の意なかりし大西郷

ばくせいはいしのいなかりしだいさいごう

(5)-11

 西郷隆盛公は、是れも却〻達識の偉い方で、器ならざる人に相違ないが、同じく器ならずでも、大久保卿とは余程異つた所のあつたものである。一言にして謂へば、頗る親切な同情心の深い人で、如何にせば他人の利益を計ることが能きようかと、他人の利益を計らう〳〵といふ事ばかりに骨を折つて居られたやうに、私は御見受け申したのである。
 彼の山岡鉄舟先生が、江戸城からの使者で駿府の征東総督府を訪ひ隆盛公に会つた時に、慶喜公を備前に御預けにしようといふ提議に対し不承知を唱へると、公が山岡先生の情を酌み、即座に山岡先生の議を入れて、備前に御預けの事は廃めにしようと快く一諾の下に引受けられたなぞは、全く隆盛公が凡庸の器で無く、深い達識のあつた、器ならざる大人物たるの致した所だらうと思ふが、畢竟するに他人の利益を計つてやらう〳〵との親切な同情が深くあらせられたからの事であらうと存ずる。又私の観る所を以てすれば、隆盛公には其初め幕府政治を全く廃止してしまはれようとの気はなかつた如くに思はれる。

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キーワード
幕政廃止, , 西郷隆盛
デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.670-676
底本の記事タイトル:一九七 竜門雑誌 第三二九号 大正四年一〇月 : 実験論語処世談(五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第329号(竜門社, 1915.10)
初出誌:『実業之世界』第12巻第15号(実業之世界社, 1915.08.01)