デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一

12. 大西郷は賢愚に超越せり

だいさいごうはけんぐにちょうえつせり

(5)-12

 西郷隆盛公とても、素より徳川幕末の制度組織では、到底今後の政治を円滑に行つてゆかれるもので無い事には気が付かれて居つたに相違ないが、唯幕府に従来あつた御老中制度を廃止し、之を年寄制度に改めて諸藩の新しい人材を年寄として召し集め、幕府政治を行つてゆきさへすれば、それで容易に国政の改革を断行し得られるものと信ぜられ、強ひて幕府を倒す必要が無いと考へられて居つたやうに思はれる。私が前回までのうちにも申述べ置いた如く、一旦徳川幕府が倒れても、今日となつて観れば誠に畏れ多い次第だが、御親政の御代とならず、必ずや豪族政治になるものだらうと愚考して、一橋慶喜公が第十五代の征夷大将軍になられるのに反対したのも、実は西郷隆盛公に如何しても徳川幕府を潰してしまはねばならぬとの御意志が無いものと看取したからの事である。
 隆盛公の御平常は至つて寡黙で、滅多に談話をせられることなぞの無かつた方であるが、外間から観た所では、公が果して賢い達識の人であるか、将た鈍い愚かな人であるか一寸解らなかつたものである。此点が西郷隆盛公の大久保卿と違つてたところで、隆盛公は他人に馬鹿にされても、馬鹿にされたと気が付かず、その代り他人に賞められたからとて素より嬉しいとも悦ばしいとも思はず、賞められたのにさへ気が付かずに居られるやうに見えたものである。何れにしても頗る同情心の深い親切な御仁にあらせられて、器ならざると同時に又将に将たる君子の趣があつたものである。

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キーワード
西郷隆盛, 賢愚, 超越
デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.670-676
底本の記事タイトル:一九七 竜門雑誌 第三二九号 大正四年一〇月 : 実験論語処世談(五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第329号(竜門社, 1915.10)
初出誌:『実業之世界』第12巻第15号(実業之世界社, 1915.08.01)