デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一

13. 文雅な木戸公と器に近き勝伯

ぶんがなきどこうとうつわにちかきかつはく

(5)-13

 木戸孝允卿は同じく維新三傑のうちでも大久保卿とは違ひ、西郷公とも異つた所のあつたもので、同卿は大久保卿や西郷隆盛公よりも文学の趣味が深く、且つ総て考へたり行つたりすることが組織的であつた。然し器ならざる点に於ては大久保、西郷の二傑と異なるところが無く、凡庸の器に非ざるを示すに足る大きな趣のあつたものである。
 勝伯とても素より達識の方で、凡庸の器でなかつたには相違ないが大久保、西郷、木戸の三傑に比すれば、何れかと謂ふに、余程器に近い所があつて、器ならずとまでには行かなかつたやうに思はれる。
 其他、伊藤公或は現に御存命の山県公にしろ、井上侯にしろ、松方侯にしろ、将た大隈伯にしろ、あれまでに成られる方々の事故、何れも凡人と違ふ秀れた所のある人々であらせられるに相違ないが、維新三傑の如く、器ならざる方々にあらせられるや否や、之は現下私から申述べるのを御遠慮申上げることにする。なほ、是等の方々の外に現今の政治界にも実業界にも器ならざる大人物があるのは必定で、器ならざる大人物は、維新の三傑に限られたわけでないが、現在の人物に就て批評がましい愚見を述べるのは憚るべきであらうから申上げぬ事に致し、維新の三傑は流石に三傑と崇められるだけであつて、異つた所のあつたものだといふことだけを申述べて置く。

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キーワード
文雅, 木戸孝允, , 勝海舟
デジタル版「実験論語処世談」(5) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.670-676
底本の記事タイトル:一九七 竜門雑誌 第三二九号 大正四年一〇月 : 実験論語処世談(五) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第329号(竜門社, 1915.10)
初出誌:『実業之世界』第12巻第15号(実業之世界社, 1915.08.01)