デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一

1. 人を見るに細心なれよ

ひとをみるにさいしんなれよ

(6)-1

 人物観察法に就ては、孔夫子が説かれてある遺訓に基き、その為す所を視、その由る所を観、その安んずる所を察する、視、観、察の三法に依らねばならぬものである事を、既に前回にも申し述べて置いたが、遇ふほどの人に対し、悉く視、観、察の三つを遂げようとすれば勢ひ探偵吏が人に接する時のやうに細かくばかりなつてしまひ、甚だ面白くない。それよりも寧ろ佐藤一斎先生の言の如く、初見の時に得た印象で其人を相し、それで若し観察の過つてた事が後日に至つて知れても、その時はそれで致方の無いものと諦め、探偵吏の如き冷たい疑心を懐いて人を観ず、総ての人に接するに虚心坦懐を以てするのが何よりの上分別である、との意見を持つてる方々も無いでは無い。それも確かに一つの処世法であらう。
 然し私としては、随分念にも念を入れて、充分其人を観察し得た積でありながら、後日に至り、其人に意外の行動があるのを知つて自らの不明を愧づることが屡〻ある。人を観るといふ事は実に難中の難で決して容易なものでは無い。就中、其人の安んずる所を察するのが最も困難である。困難ではあるが、人の真相を知らうとすれば何よりも最も注意して其人の安んずる所を察するのに力を致さねばならぬものである。其の安んずる所を知りさへすれば、九分九厘までは其人の全豹[全貌]を知り得られる事になる。

全文ページで読む

キーワード
, 見る, 細心
デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)