デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一

13. 私も時には返答に困る事がある

わたしもときにはへんとうにこまることがある

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 後輩の人であるとか、若くは又、平素親しくして往来する友人の間柄だとかの人からなれば間違つた話を持ち込んで来た時に、私とても直に頭から之を却けて「爾んな馬鹿な話があるものか」と一喝の中に不同意を表することも能きるが、間違つた話を持ち込んで来る人が、多少とも自分の先輩であるとか、平素長者と立てて置く人であるとか及至は余り平生親しく交際せぬ間柄の人ででもあるとかだと、さう頭から不同意を言明してガミガミ膠なく却けてしまふわけにも行かず、さればとて、不同意である処を無理に同意であるかの如く曰つてしまへば、たゞに自分を偽るのみならず、先方に其非を覚らしむることも能きないで益〻其人の過謬を深くさする事にもなる。これは到底、私の忍び難しとする処である。
 実業之世界社の野依君のやうな応対振で、気に入らぬ事は誰が曰うて来たのだからとて一向それには頓着せず頭から排斥して、「そんな馬鹿なことがあるものか」と率直に言明することに平素為て来ればそれは又それで通用するものだが、私には又私の応対振があつて、平生が爾ういふ風で無いから、私が観て以て間違つてるなと信ずるやうな事に、長上や、平素余り親しくして居らぬ或る筋の人々から同意を求められると、私は全く其の返答に困つてしまふ。斯る場合は、孔夫子が論語に教へられてある「之を知るを之を知ると為し、知ざるを知ららず[知らず]と為せ」との語を適用すべき場合と少し場合が違ふかも知らぬが道理は矢張り同じで、不同意ならば不同意の旨を明言すべきであるのに、人情の弱点とでも申さうか、之を明言しかねるので処世上何うして可いものかと途方に暮れねばならなくなる。

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デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)