デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一

11. 尊徳先生の興国安民法

そんとくせんせいのこうこくあんみんほう

(6)-11

 西郷公は私に向はれ、斯く〳〵爾かじかの次第故、折角の良法を廃絶さしてしまふのも惜しいから、渋沢の取計ひで此の法の立ち行くやう、相馬藩の為に尽力して呉れぬか、と仰せられたので、私は西郷公に向ひ「そんなら貴公は二宮の興国安民法とは何んなものか御承知であるか」と御訊しすると、一向何んなものか知らぬ、との御答へである。何んなものかも知らずに之を廃絶せしめぬやうにとの御依頼は甚だ以て腑に落ちぬわけであるが、御存知なしとあらば致方が無い、私から御説明申上げようと、その頃既に私は興国安民法に就て充分取調べて置いてあつたので詳しく申述べることにした。
 二宮先生は相馬藩に招聘せらるゝや、先づ同藩に於ける過去百八十年間に於ける詳細の歳入統計を作成し、この百八十年を六十年宛に分けて天地人の三才とし、その中位の「地」に当る六十年間の平均歳入を同藩の平年歳入と見做し、更に又この百八十年を九十年宛に分けて乾坤の二つとし、収入の少い方に当る坤の九十年間の平均歳入額を標準にして藩の歳出額を決定し、之により一切の藩費を支弁し、若し其年の歳入が幸にも坤の平均歳入予算以上の自然増収となり剰余額を生じたる場合には、之を以て荒蕪地を開墾し、開墾して新に得たる新田畑は開墾の当事者に与へることにする法を定められたのである。これが相馬藩の所謂興国安民法なるものであつた。

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キーワード
二宮尊徳, 興国安民法
デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)