デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一

14. 井上と大隈にも苦めらる

いのうえとおおくまにもくるしめらる

(6)-14

 井上侯や大隈伯は私の先輩で、私が今日まで御世話を受けて参つた方々である。滅多に間違つた御意見などを私に御聞かせになる事もないが、打ち明けて早い御話をすれば、是等の先輩諸賢とても何から何まで私に於て同意の能きる御意見ばかりを総て持つて居らるゝものとは限らぬ。時に私が観て以て筋道の間違つてると思ふやうな話を持ち出されて私に同意を求められるやうな事が万が一には無いでも無い。斯る時にも私は、其非を指摘して頭から不同意であると言明するのが真実の道であらうが、真逆あからさまに爾うとも言ひかねて返答に困るやうな羽目に陥ることがある。
 大抵の人ならば斯る場合に臨むと、腹の中では不同意でも口の端だけで其場限り如何にも同意であるかの如く申してしまふのであるが、それでは自分を偽り他人を欺き、其人を益〻間違つた道に進ましむるのみならず、却て迷惑を懸けることにもなるから、私には到底爾んな真似は能きぬのである、斯る場合に遭遇して困るものは私ばかりで無い、他にも多くあるだらうと思ふが、孔夫子の御弟子の子路なども、時折斯る場合に遭遇して困られたものと見え、孟子の滕文公章句下には、子路の言として「未だ同じからずして言ふ、其色を観れば赧々然たり、由(子路)の知る所に非ざるなり」とあり、意見の同じからぬ者から強ひて話しかけられて機嫌を取つてる人の顔色を見るに、赧々として朱いが、そんな事は自分のとても能きることで無いと曰はれて居る。又同章句の処に曾子の言として「肩を脅かして諂ひ笑ふは夏畦より病る」とあり、人の機嫌を取る為に肩をすぼめて諂ひ笑ふのは、炎天に田に出て耕作するよりも苦しいと曰はれて居る。況んや子路や曾子には及びもつかぬ薄徳の私が、斯る場合に困るのは当然で、甚しくなれば「煩悶」とでも申したいほどの苦みを覚えることがある。

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キーワード
井上馨, 大隈重信, 苦しむ
デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)