デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一

2. 意外の失策を為る人

いがいのしっさくをするひと

(6)-2

 最近に於ても、私が世話をして或る会社に入れて置いた世話内の御仁で、意外の失態を暴露したのがある。この人に就て私は充分観察を遂げ、決して悪い事を為るやうな方ではないと信じ、或る会社の主任に御世話したのであつたが、若し相場にでも手を出すとか、或は又悪い遊びでもするとか、酒でも飲むとかいふなら直ぐ私にもそれと知れたのだが、然し、其人には決して爾んな事は無かつたのである。
 失態の暴露する前からとても、其人にたゞ少し家事上の締りが無いのでは無からうかと薄々気付かぬでも無かつたが、結局、其人には安んずる所に間違があつたので、別に相場をやつたの、遊んだのといふわけでも無いのに、不義理の借金で首が廻らなくなり、遂に自分が主任をして居る会社の金銭を、私消したといふのでは無いが或る形式で融通するやうになつて、辞職せねばなら無くなつてしまつた。元来決して悪い人では無いのだが、斯る失態を演ずるに至つたのは、全く其の安んずる所を間違へ、相当の給料を得て居りながら量入為出の法を無視し、給料だけの生活に満足しないで、これに家族の者の虚栄心なども多少手伝ひ、収入以上の分不相応なる生活を営み、喰ひ込みに喰ひ込みを重ね、之を埋めるに借金し、借金には利子を取られ、益〻借金が嵩まつて来たのが遂に此の不始末となつたのである。斯る失態を暴露するに至るべき人だと、私が初めから気付かずに御世話をしたのは、畢竟、私が其人の安んずる所を察する明が無かつた不明の致す処で、愈〻失態の暴露せられた時に、私は実際其意外なるに驚いたほどである。私は最近に実験した斯の一例に徴しても、人を観察するには其の安んずる所を知るのが何より最も大切である事を、切に感ずるものである。

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キーワード
意外, 失策,
デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)