15. 黙して答へぬ私の返答
もくしてこたえぬわたしのへんとう
(6)-15
又茲に一つ注意して申添へ置きたいことは、表情の具合である。如何に黙して答へずとも、顔に出る表情の具合一つで、不同意である心の中を意外にも同意であるかの如くに先方に覚らしめるやうな場合もあるもの故、此の点は大に要心すべきもので、実際不同意であつて何の返答さへせずに置きながら、先方に悪感情を起させるのが好ましくないなぞとの弱い精神から、顔の表情や態度を同意であるかのやうにして見せれば、之れは先方を誤解さして欺くことになり、惹いては先方の迷惑ともなり、甚だ宜しく無い措置で、それは不同意でありながら其場を繕らふ為に同意であると返答したのと同じ事になる。賛否の返答は言葉ばかりに依つて表はれるものではない。顔の表情や態度によつても表はれるものである。故に不同意の場合に黙して答へざることにしたら、表情と態度とにも大に注意し、些かたりとも同意と先方に誤解せられるやうな表情や態度をして見せてはならぬものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)