7. 千代田城の能舞台
ちよだじょうののうぶたい
(6)-7
今の皇城は御炎上になつてから後に御新築になつたものであるが、まだ炎上せずに故の千代田城が其儘皇居に充てさせられてあつた明治四年の事である。旧西丸にあつた御能舞台を修理して之を御議事の間と名づけ、西郷、大久保、木戸、伊藤、後藤(象二郎)、三条、岩倉等の諸公が此の御議事の間に出仕し、明治新政の将来に関し会議することになつたのである。私は当時大蔵大丞であつたが、杉浦愛蔵と申す者と共に御議事の間附の書記官の如き役に当る枢密権大史を兼務する事となり、御議事の間に出仕した。
この役目は一に大内史とも称せられたが、素より小走り役の事であるから、議事に立ち入つて彼是れと議論を上下するわけには参らなかつたのである。然し、文案を立てたり、書類を整理したりするのが大内史の役で、時には間接に自分等の意見なども聞いてもらへたものである。
御議事の間では、君権は何処までで止めて置くべきものか、輔弼の臣は何処まで其権能を行ふことの能きるものか、なぞとの事も追々議せねばならぬといふので、兎に角、大権に就て議する事であるから、一応、之に関し陛下の御裁可を仰いで置く必要があらうと、大内史たる私に之に関する奏請文案の起草を命ぜられた。
- デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
-
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)