デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一

9. 大西郷の一言意味深長

だいさいごうのひとこといみしんちょう

(6)-9

 たゞに局外にあつた私ばかりでは無い、御議事の間に出仕する他の諸公とても気が気ではない。何れも皆天下の泰平を冀つて政治諸般の施設を進めて行つてるのに、西郷公は、まだ戦が足らぬ、と曰はれたのであるから驚いてしまつて、何が何やら薩張要領を得ず、判を捺かせようと西郷公に迫れば、直ぐ話頭を他に外らしてしまはれたものである。私なぞはその時に於ける西郷公の御真意が果して何れの辺にあるか、頓と解しかねたものである。
 然し、それから間もなく其年の七月中旬に廃藩置県の事が決定布告になつたので、西郷公が「日本は維新後まだ戦をすることが足らぬ」と申された一言の意味を始めて私も解し得られるやうになつたのである。即ち、西郷公は何よりも廃藩置県を目前の最大急務なりと考へられてたので、愈〻之を実施する段になると、或は諸藩の中から之に反対を唱へて乱を起し、或は再び戦争になるやうなことがあるかも測られぬと予想されて「戦をする事が足らぬ」と申されたのであつた。然るにたゞ結論だけを談話になつて、この結論に達するまでの筋道を詳細に説明せられぬものだから、他の者には何が何やら一向に解らず、為に斯く誤解られるやうな事も往々あつたものかと思ふ。西郷公の一言には、斯んな風で常に意味深長のことが多かつたものである。

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キーワード
西郷隆盛, 一言, 意味深長
デジタル版「実験論語処世談」(6) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.677-685
底本の記事タイトル:一九九 竜門雑誌 第三三〇号 大正四年一一月 : 実験論語処世談(六) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第330号(竜門社, 1915.11)
初出誌:『実業之世界』第12巻第16号(実業之世界社, 1915.08.15)