デジタル版「実験論語処世談」(20) / 渋沢栄一

7. 安心立命のあつた素行

あんしんりつめいのあったそこう

(20)-7

 然し、幕府とても強ひて素行を苦しめようとする意志は無かつたものらしく、儒官たる林家よりの抗議のあつた手前、放つて置くわけにも行かず赤穂に預けたら赤穂侯の直雅が曾て素行に師事せし縁故もあること故、必ずや素行を優待するだらうと看て取り、赤穂幽謫に決したものと思はれる。当時、江戸の町奉行は北条氏長と申した武田流兵法の達人で、素行の為めには兵法の師範であつた関係もあるところより、奉行所から召出しの差紙があつても素行は敢て驚く色もなく、的きり彼の「聖教要録」の一件だとは思つたが、泰然自若として何気無き態を粧ひ、その頃既に父は没してしまつて居られたので、一人の母が切りに心配するのを、「北条が奉行でもあるからなに何でも無い。決して御心配下さるに及ばぬ」と慰め、愈よ出かけに臨み妻と伜の金太郎及び娘とに対ひ「或は直ぐ帰れぬやも知れぬ故その積りで……」と一言云ひ残したのみで直ぐ馬を玄関に曳かせ、之に跨つて悠々町奉行所に出かけたさうだが、胸中に確乎たる安心立命が無ければ、到底斯る泰然自若たる態度には出られぬものである。
 総じて安心立命を得て居らぬ人は、何か事件が起つたり変に遇ひでもしたりすれば、直ぐ態度を乱してザワザワ狼狽へだすもので、毫も泰然たるところが無くなつてしまうものである。然し、素行が奉行所よりの差紙に接して些か狼狽の気味さへ無かつたところは、素行に確乎たる安心立命の信念があつた事を明かに語るものである。それほどにしつかりした経世の才に富んだ人物でありながら、素行が猶ほ政治家として立つに足るべき所を得ず、狷介を持して一軍学者を以て終らねばならなかつたのは、当時既に世の中が泰平になり、朱子学によつて社会の安寧秩序が保たれて居つた際とて、之に同化せずして朱子学に反抗した素行は、勢ひ社会より排斥せられ、朱子学派より圧迫を加へられねばならぬ位置に立つを余儀なくされたからである。

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安心立命, 山鹿素行
デジタル版「実験論語処世談」(20) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.125-132
底本の記事タイトル:二二九 竜門雑誌 第三四四号 大正六年一月 : 実験論語処世談(二〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第344号(竜門社, 1917.01)
初出誌:『実業之世界』第13巻第23,24号(実業之世界社, 1916.11.15,12.01)