7. 安心立命のあつた素行
あんしんりつめいのあったそこう
(20)-7
総じて安心立命を得て居らぬ人は、何か事件が起つたり変に遇ひでもしたりすれば、直ぐ態度を乱してザワザワ狼狽へだすもので、毫も泰然たるところが無くなつてしまうものである。然し、素行が奉行所よりの差紙に接して些か狼狽の気味さへ無かつたところは、素行に確乎たる安心立命の信念があつた事を明かに語るものである。それほどにしつかりした経世の才に富んだ人物でありながら、素行が猶ほ政治家として立つに足るべき所を得ず、狷介を持して一軍学者を以て終らねばならなかつたのは、当時既に世の中が泰平になり、朱子学によつて社会の安寧秩序が保たれて居つた際とて、之に同化せずして朱子学に反抗した素行は、勢ひ社会より排斥せられ、朱子学派より圧迫を加へられねばならぬ位置に立つを余儀なくされたからである。
- デジタル版「実験論語処世談」(20) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.125-132
底本の記事タイトル:二二九 竜門雑誌 第三四四号 大正六年一月 : 実験論語処世談(二〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第344号(竜門社, 1917.01)
初出誌:『実業之世界』第13巻第23,24号(実業之世界社, 1916.11.15,12.01)