デジタル版「実験論語処世談」(20) / 渋沢栄一

1. 大隈侯とは明治二年以来

おおくまこうとはめいじにねんいらい

(20)-1

子曰。晏平仲善与人交。久而敬之。【公冶長第五】
(子曰く、晏平仲善く人と交り、久ふして之を敬す。)
 茲に掲げた章句のうちに挙げられた晏平仲も春秋時代の一名物で、名を嬰と申した斉の大夫であるが、この人には又頗る徳の高いところがあり、能く好んで人と交際せるに拘らず、如何に其交際が永年に亘つても決して之に狎るる如きことなく、恭敬の念を他に対して失はなかつたものである。孔夫子は斯の点に就て晏平仲を御賞めになつたのである。
 如何に久しい間の交際でも之に狎れず、敬意を失はぬやうにしてゆく事は、処世上に最も大切な点である。然し大抵の人には、少し交際が久しくなると互に敬意を失つて、相狎れるやうになり勝ちの傾向がある。昨日まで刎頸の友であつたものが、今日不倶戴天の仇敵たるが如き観を呈するに至るのは、一に懇意にまかせて敬意を欠き、互に尊敬し合はぬやうになるのが原因である。されば交際が久しくなればなるほど、益々互に敬意を尽くし合ふやうに致すべく、青年子弟諸君に於ては絶えず心懸け居られて然るべきである。
 私と大隈侯とは誠に永い間の御交際で、侯は時に私に対はれ「君とは随分久しい間柄だな」と仰つしやることがある。全く以つて其の通りで、明治二年からの御交際である。将に五十年にも垂んとするのであるが、この間、私が大隈侯に対して不満足を感じたことのあるやうに、また先方様とても私に対して不満足に思はれたことも定めしあつたらうと思ふ。私だからとて、時には不行届なこともあつたらうし、先方様が一々よろしい事ばかりであつたといふわけでも無い。私に就いて色々と誤解せられて居つた場合などもあつたやうに思はれる。然し、一時誤解があつたりなどしても、そのうちに事情が判明すれば誤解が消えてしまひ、五十年間、今日に至るまで依然として昔日の交情を維持してゆけるのは、私が久しい間御交際を得て居るのに狎れて、大隈侯に対し敬意を欠く如きことをせず、久しく交つて猶ほ侯を敬して居るからである。又侯とても私に対して敬意を欠くやうな事をなされず、私を敬して下さるのである。これが私が大隈侯と明治二年以来今日に至るまで、親しく御交際申して居られる所以である。私と大隈侯との間に、互に敬し合ふことが無くなつてしまつたら、両人は遠うの昔に仲違ひになつたらうと思はれる。

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デジタル版「実験論語処世談」(20) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.125-132
底本の記事タイトル:二二九 竜門雑誌 第三四四号 大正六年一月 : 実験論語処世談(二〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第344号(竜門社, 1917.01)
初出誌:『実業之世界』第13巻第23,24号(実業之世界社, 1916.11.15,12.01)