デジタル版「実験論語処世談」(20) / 渋沢栄一

8. 決断の遅速と其の場合

けつだんのちそくとそのばあい

(20)-8

季文子三思而後行。子聞之曰。再斯可矣。【公冶長第五】
(季文子三たび思ひて後行ふ。子之を聞て曰く、再びすれば斯に可なり。)
 季文子は名を行と申した魯の大夫であつたが、何事にも石橋を叩いて渡るといふ流儀で、三度考へてから後で無ければ決して実行に取りかからぬところより、当時の人々は、季文子を智慮周到の人物なりとて切りに賞めたものである。然し、孔夫子は却つて季文子を果断の勇に乏しき人物なりとして、世間の評判に同意を表されず、凡そ物事といふものは二度も考へればそれで既う沢山だ、強ひて三度迄も考へ直すには及ばぬことだ、と言はれたのである。茲に掲げた章句を文字通りに解釈すれば、斯ういふ意味になるのであるが、二度とか三度とかいふ文字に拘泥しては、却つて孔夫子の御真意が了解ら無くなつてしまう恐れがある。
 総じて世の中の物事には、三思しても猶ほ足らず、十思百思を必要とするものもあれば、又再思の必要だに無く、考へたら直に実行せねばならぬこともある。孟子も説いて居らるる如く、子供が井戸に落つるのを見れば直に惻隠の情が起つて来るが、惻隠の情が起つたら直ぐ之を救う為に駈けつけねばならぬのが人間の道である。救つたら可いだらうか、何うだらうかと、一思の余地さへ其間にあつてはならぬ。君父の難に赴くに当つても亦然りで、難を知つたら、直に之に赴かねばならぬものである。咄嗟の事変に対しては、咄嗟の間に之に処するだけの心懸は平常より之を養つて置かねばならぬものである。然し一身の将来に関する如き問題に就ては、決して之を咄嗟の間に決すべきもので無い。考慮に考慮を重ねて十思したる上、漸くにして之を決する程にせねばならぬものである。私は及ばずながら今日までこの方針で物事を決することにして来たのである。然し、決断の優れた人物になるのは、決して容易の業で無い。大人物にして初めて決断の優れた人物に成り得られるもので、下手に平々凡々の人物が裁決流るるが如しと云ふやうな真似をすれば、却つて飛んでも無い失敗を招くことになるが、私は今日までに読んだり聞いたりして居る古来の人物のうちで、決断の明快で而も道を過らなかつた大人物として、戦国時代で太閤秀吉、泰平の時代に入つては水戸義公、それから下つて徳川慶喜公を推さんとするものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(20) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.125-132
底本の記事タイトル:二二九 竜門雑誌 第三四四号 大正六年一月 : 実験論語処世談(二〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第344号(竜門社, 1917.01)
初出誌:『実業之世界』第13巻第23,24号(実業之世界社, 1916.11.15,12.01)