5. 無謀の勇は愚なり
むぼうのゆうはぐなり
(35)-5
子謂顔淵曰。用之則行。舎之則蔵。惟我与爾有是夫。子路曰。子行三軍則誰与。子曰。暴虎馮河。死而無悔者。吾不与也。必也臨事而懼。好謀而成者也。【述而第七】
(子、顔淵に謂つて曰く、之を用ふれば則ち行ひ、之を舎つれば則ち蔵る。惟我と爾と是あるか。子路曰く、子、三軍を行らば則ち誰と与にせん。子曰く、暴虎馮河、死して悔無き者は吾は与みせず、必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成す者なり。)
茲に掲げた章句にある「暴虎」とは、武器も何んにも持たず素手で猛虎を搏つこと、「馮河」とは舟無くして大河を徒渉する事で、孔夫子が一日、顔淵と子路との三人で色々談話を交換して居らるるうち、何か感じた処があらせられたものか、「幸ひに用ひらるれば大に我が志を行ひ、又用ひられぬからとて敢へて天を怨み人を恨むる如き事を為さず、経綸を胸中に蔵して悠々たるを得る者は、まア孔子と顔淵の外には他に無からう」と顔淵を顧みて仰せになると、例の元気の佳い覇気に富んだ子路は、自分が孔夫子によつて閑却せられて居るのが癪に障つて癪に障つて堪らず、「それにしても、一軍一万二千五百人、三軍合して三万七千五百人にも達するほどな一国の大軍を動かすのは子路の如き勇者にして初めてできることで、夫子や顔淵の如き君子肌の人には迚もできますまい」と、我が勇を鼻にかけて横合から口を差出したのである。すると孔夫子は子路が勇に誇る色あるを戒められ、「如何に野蛮な戦争でも、素手で虎を搏ち殺さうとしたり、汪洋たる大河を足で舟も無く渉らうとする如き無謀の士と一緒になつてはできるもので無い。孔子は仮令戦争をするにしても充分に智慮を働かせ謀を運らして戦ふ智者とのみ事を与にする」と仰せられたといふのが、この章句の意味である。(子、顔淵に謂つて曰く、之を用ふれば則ち行ひ、之を舎つれば則ち蔵る。惟我と爾と是あるか。子路曰く、子、三軍を行らば則ち誰と与にせん。子曰く、暴虎馮河、死して悔無き者は吾は与みせず、必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成す者なり。)
如何にも孔夫子の仰せられた通りで、戦争とても、決して腕力だけでは行れるもので無い。猶且頭を要する。頭で戦争をせねばならぬのだ。殊に近世の戦争は殆ど数学で行つてると謂つても差支無いほどのもので、現に日本の参謀本部には天下の人才が最も多く寄せ集められて居るとさへ言はれて居るほどだ。戦争は止むを得ざるに及んで初めて行るべきもので、好んで行るべきものでは無いが、戦争も腕力競べよりは智恵競べが主になる。
- デジタル版「実験論語処世談」(35) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.247-254
底本の記事タイトル:二五八 竜門雑誌 第三六〇号 大正七年五月 : 実験論語処世談(卅五回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第360号(竜門社, 1918.05)
初出誌:『実業之世界』第15巻第4,5号(実業之世界社, 1918.02.15,03.01)