3. 支那人の妙な性質
しなじんのみょうなせいしつ
(35)-3
子食於有喪者之側。未嘗飽也。子於是日哭。則不歌。【述而第七】
(子、喪ある者の側に食すれば、未だ嘗つて飽かざる也。子、是の日に於て哭すれば、即ち歌はず。)
論語のうちでも「郷党」篇なんかに於ては、孔夫子が礼儀に就て説かれた教訓を随分沢山に載せてある。支那は古来礼儀作法の厳格なる邦で、俗にも礼儀三百威儀三千といふほどであるが、余り形式が細目に亘つて細かくなると、却つて礼儀の精神が没却せられてしまふやうになる恐れのあるものだ。又、修養の到らぬ人は、ただ礼儀の形式を形式的に守るのみで、その精神を体得する事を忘れてしまふものである。孔夫子に至つては然らず、礼儀の形式を尊重して之を遵守せられたと共に、その精神をも重んぜられたのである。(子、喪ある者の側に食すれば、未だ嘗つて飽かざる也。子、是の日に於て哭すれば、即ち歌はず。)
茲に掲げた章句は、孔夫子が実行の上に於て礼儀の精神を重んぜられた事実を挙げたもので、孔夫子は流石大聖人丈あつて、苟も死んだ人がある喪中の家へ訪れられでもすれば、単に形式上の弔みを申述べらるるのみに止まらず、心の底より死者の遺族に同情して哀愁の念を催し、御飯も碌々咽喉を通らぬといふほどに成られ、又他人の喪を弔して哭かれた事のある日には、謡を唄つて笑ひ興ずるが如きことを決して為られなかつたものだと、孔夫子の行状を称揚し、万人をして之に習はしめんとしたのがこの章句の真意である。然るに今日の支那人を観るに、茲に掲げた章句にある孔夫子の行状の如く、精神を主として形式を副とする如き国民的気風無く、総ての礼儀は形式ばかりとなり、精神の抜けてしまつたも脱けの殻同様、徒に繁雑な丈けで全く形式ばかりのものになつてしまつて居る。随つて今日の支那人には喪者の側で飽き、死人を前にして弔詞を述べて居る一方に於て金銭の争ひをする如き者を続々として出すに至り、支那の事は何事によらず形式ばかりで精神の無いものとなり、葬式にも、喪にある者が衷心より真に哀愁を催して泣く如きことを為さず、泣き男を傭つて之に「オイオイ」泣かせるといふやうになつてしまつたのである。然し、斯る弊は恐らく昔から支那にあつたもので無く、宋以後の事であらうと私は想ふのだ。
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- 【述而第七】 子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。
- デジタル版「実験論語処世談」(35) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.247-254
底本の記事タイトル:二五八 竜門雑誌 第三六〇号 大正七年五月 : 実験論語処世談(卅五回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第360号(竜門社, 1918.05)
初出誌:『実業之世界』第15巻第4,5号(実業之世界社, 1918.02.15,03.01)