デジタル版「実験論語処世談」(35) / 渋沢栄一

1. 石川雅望と七代目団十郎

いしかわがぼうとしちだいめだんじゅうろう

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 蜀山人と称した大田南畝なぞと時代を同じうし、江戸小伝馬町の旅籠屋糠屋七兵衛方の主人で通称を五郎兵衛と称んだ石川雅望は、町人ながらも学問を好み、殊に「源氏物語」に精通し、雅文に巧みで、狂歌なぞ盛んに詠んだものだ。戯文にも却〻長じて居つたので、「北里十二時」なんかといふ書なぞも著して居る。この種の戯文は総て「源氏物語」風の雅文によつて綴られてあるので、一寸読んだぐらいゐではその文意を明かに諒得することもでき無いが、有態に謂へば、大分猥褻がかつた処もある。然し「シミノスミカ(紙魚の住家)物語」といふ書なぞは可笑な落話ばかりを寄せ集めたもので、その間に人情の機微を穿ち、皮肉な批評を世態の上に浴びせかけた処が多く、一読して処世上やら身を修める上の教訓になる節も決して少く無い。
 穂積家に嫁した私の長女宇多は、読書に趣味を有ち、いろいろ古い書籍を渉猟つて読んでるので、この石川雅望の「シミノスミカ物語」が頗る面白い譚を寄せ集めてあるのに興を催し、是非一度読んで見よと私に勧めてくれたもんだから、勧めらるるに任せて読んでみた。成る程、如何にも面白い、剽軽な小さな譚が満載せられてある。今なほ記憶に存する一つを話せば――或る処に一人の後家さんがあつて、毎日壺の中から何か取り出して楽しさうに味つてるのを見た其家の執事が、或る日主人の留守中に、窃に其壼を持ち出し、よく内容を調べて見ると、それは金米糖であつた。之を口に入れたら定めし甘いことであらうと思つた件の執事は、直に己が手を壼の中へ突つ込み、将に金米糖を摘み出さんとする一刹那、主人が帰つて来たので大に周章狼狽き手を壺から抜かうと燥急るが何うしても抜け無い。止む無く壼を何かに打つ付けて破壊してしまつたが、手の抜け無かつたも道理、金米糖を一杯に握んで壺の中に大きな握眷を拵へ、壼を破壊してから後までもなほ金米糖を握つたまま放さずに居つたのだから。――こんな面白い譚ばかりが「シミノスミカ物語」には載つてるのである。
 九代目団十郎が、秀抜なる技芸のある俳優であつたと共に、品位のある俳優たるを得たのは、単に当人の天品が之を然らしめたのみならず其家系が良かつた為である事は既に申述べて置いた通りであるが、「シミノスミカ物語」の著者石川雅望は九代目団十郎の実父に当る七代目団十郎と懇意であつたので、七代目が俳号を「白猿」と称したのに因み、「見ざる」「聴かざる」「言はざる」の三猿を旨く詠み込んで
白猿を見ざる聴かざる人までも
    イヨ親玉と言はざるは無し
 の狂歌一首をものし、当時の評判になつたほどだ。之によつて見ても七代目団十郎の白猿が如何に優れた俳優であつたかを知り得らるることだらうと思ふが、団十郎の家の代々からは斯く名優が続出して居るのである。

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キーワード
石川雅望, 市川団十郎
デジタル版「実験論語処世談」(35) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.247-254
底本の記事タイトル:二五八 竜門雑誌 第三六〇号 大正七年五月 : 実験論語処世談(卅五回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第360号(竜門社, 1918.05)
初出誌:『実業之世界』第15巻第4,5号(実業之世界社, 1918.02.15,03.01)