デジタル版「実験論語処世談」(35) / 渋沢栄一

8. 浅野総一郎氏の人物

あさのそういちろうしのじんぶつ

(35)-8

 現存者に就て批評を下すのは如何のものかとも思ふが、東洋汽船会社長の浅野総一郎氏なんかも、今の世間から暴虎馮河の人であるかの如くに誤解せられて居る一人である。然し、浅野氏は決して暴虎馮河の人では無い。同氏は大勢の趣く処を看取するに頗る敏で、先見の明ある人だ。戦争前より大船の時代来るべきを予知し、春洋丸、地洋丸の如き巨舶を建造して之に備へ、それから敢て戦争の起る事を予知して居つたでも無いのに神奈川県鶴見の海岸が将来有望の地点たるに至るべきを察知し、早くより之に埋立を行ひ、戦争が始まつてからその埋立地に非常な速力で取急ぎ造船所を起したことなぞも、全く浅野氏に先見の明あるの致す処だ。
 浅野氏は物事の見積が非常に敏捷明確な人で、何んな仕事をするに当つても、費用が何れくらゐ懸るか、何れ程の人数を要するか、幾日ぐらゐの日数で出来上るかといふ見積が直ぐ立つ。鶴見の造船所が那的ほど早く出来上つたのも、畢竟、浅野氏が見積の上手な人であるからで、這的だけの費用を投じこれ丈けの人数を以てすれば幾日の日数でチヤンと出来上るといふ見積が正確に立つたから、かの如く造船所の工事を順調に進め得たのだ。
 然るに浅野氏が如何にも強慾の人であるかの如く、危険な人物であるかの如くに誤解せらるるのは、何事にも他を益するといふよりも自分を富まさうとの観念が先きに立つからである。自分を富まさうとする事も、他人を益さうとする事も、結局実際に臨めば同じになつてしまひ、利他は自富となり自富は利他にもなるのだが、自富を先きにするのと利他を先きにするのとでは、同じ事を営んで同じく自ら富むにしても、それまでになる筋立に違つた処のあるものだ。その筋立の差によつて、強慾で危険な人物であるかの如く世間から想はれたり、或は斯く思はれずに済んだりするのである。
 私とても学問は無いが、浅野氏は又私よりも更に学問が浅い。随つて、郷里より東京へ出た時には、自ら富まうといふのが浅野氏の目的であつたのだ。この初一の精神が何時何をするに当つても浅野氏の胸裡を支配する主位の観念となるので、元来は強慾の人でも無く危険な人物でも無いのだが、一見強慾危険なる暴虎馮河の人なるが如く世間から視られてしまつたのである。浅野氏は先見の明があつて見積の巧者な人であるから、事業の経営に当つて若し国家の利益を増進する為に尽さうといふ観念を第一位に置き、自ら富まうとする念慮を其次へ置くやうにしさへすれば、今日の如く世間から誤解せらるる憂ひも無くなるだらうと思ふ。
 漢学の素養のある人は、何うしても自ら富まうとするよりも国家を利さうとする観念が先きに立つものである。これは「大学」の巻頭を披いても、直ぐ「治国平天下」の教が書いてあり、一人一己の修身斉家の教を以て終らず、身を修め家を斉ふる、所以は国を治め天下を平かにするを目的とするものなるを懇々と説き、人生最終の目的は国を治めて天下を平かにするにあるを教へて居るからだ。漢学を学ぶ者はこの教訓の間に育つて来るので、何うしても自分の利益よりは先づ国家の利益を先にしようといふ事になる。浅野氏には、この漢学の素養が無いから、かの如く成られたのであらうと思ふ。

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浅野総一郎, 人物
デジタル版「実験論語処世談」(35) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.247-254
底本の記事タイトル:二五八 竜門雑誌 第三六〇号 大正七年五月 : 実験論語処世談(卅五回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第360号(竜門社, 1918.05)
初出誌:『実業之世界』第15巻第4,5号(実業之世界社, 1918.02.15,03.01)