デジタル版「実験論語処世談」(36) / 渋沢栄一

3. 断乎孔子教の罪に非ず

だんここうしきょうのつみにあらず

(36)-3

 漢学の普及によつて日本国民の間に国家観念の熾烈になつたことは事実で、又、維新の元勲共に自己の富貴利達を冀ふ念よりも、国家を思ふの念が先に立つたのも、一に孔子教の感化に因ることであるが、一方には又漢学の普及と孔子教の感化とが、維新前の国民をして富を軽んじ、商工農を賤しむるに至らしめたる如き観が無いでも無い。否大抵の人は斯く観て居るのである。然し維新前の封建時代に於て、商工農を賤しむ傾向を生ずるに至つたのを、一に孔子教に帰するは、孔子教を誣ふるの甚しきものだ。斯る弊の生じたのは封建制度そのものの罪である。世が戦国とならず、封建制度が樹立せられぬ以前にあつては、商工農も決して賤しめられず、実業家は朝廷からも尊重せられて居つたものである。この精神は仁徳天皇を初め奉り、歴代天皇の御製にも顕れて居れば、又朝廷に於かせられて商工農に従事する者を重んぜられ、之に特別の姓氏を賜うた事実なぞもあつて、頗る明かに発揚せられて居る。
 然るに世が戦国の時代となり、群雄諸方に割拠するに至るや、兵力の在る処に自ら勢力も寄り集り、英雄即ち君主、君主即ち小国家で、英雄以外君主以外に民衆が無くなつてしまひ、民衆は一に君主たる英雄の利益幸福を増進する道具に供せらるるばかりになつてしまつたのだ。処が諸方に割拠した英雄共は、生存競争の必要上、日本といふ大きな国家のことなどを毫も念頭に置かず、偏ら自分の勢力区域を拡張して他の勢力区域を蚕食せんとする事にのみ意を注いだので、之が為に凡らゆる手段を講じ、強者の権利を揮り廻はして武力の乏しい民衆を虐げ、之をして一に君主たる英雄の利益を増進する事にのみ働かせるやうにしたのである。甲斐の武田信玄にしても、越後の上杉謙信にしても、孰れも英雄たるには相違無いが、眼中には民衆の利益幸福を増進してやらうなぞといふ気は毫も無く、ただ自分の勢力を張らんとする事にばかり腐心したものだ。随つて、信玄でも謙信でも、当時は日本の信玄、日本の謙信で無くて、甲斐の信玄、越後の謙信たるに過ぎなかつたのである。諸方に割拠した群雄が斯く自分の勢力を張らんとして民衆を其の道具に使つた結果は、自ら民衆の大部分を占むる商工農を賤み、之を蔑視するやうになつたのであるが、それが一転して制度となり、封建時代になつてからは商工農を圧服して之を虐ぐる制度の樹立を実現するに至り、その制度を固く維持する必要の上から、更に進んで商工農を賤むやうな教育を施すに至つたのである。その教育が遂に固定して風俗習慣となり、商工農者は一般に賤めら[れ]、又自分達も自分達を賤むやうになつたのが、維新前後までの実際である。維新前後まで実業家が賤められてゐたのが、孔子教乃至は又漢学の罪で無くつて封建制度そのものの罪であるといふのは茲に在る。

全文ページで読む

キーワード
孔子教, , 非ず
デジタル版「実験論語処世談」(36) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.256-264
底本の記事タイトル:二六〇 竜門雑誌 第三六一号 大正七年六月 : 実験論語処世談(卅六回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第361号(竜門社, 1918.06)
初出誌:『実業之世界』第15巻第6,7号(実業之世界社, 1918.03.15,04.01)