デジタル版「実験論語処世談」(36) / 渋沢栄一

1. 維新元勲の根本精神

いしんげんくんのこんぽんせいしん

(36)-1

子曰。富而可求也。雖執鞭之士。吾亦為之。如不可求。従吾所好。【述而第七】
(子曰く、富にして求むべくんば執鞭の士と雖も、吾れ亦之を為さん。如し求むべからずんば、吾が好む所に従はん。)
 茲に掲げた章句のうちにある「執鞭の士」とは、周礼に拠れば下士の役で、君の出入に当つて趨走し、道路の人々を避けしむるお先払を承る賤しい職務の人をいふのであるが、この章句は決して孔夫子が富を賤む意を述べられたものでは無い。求むべき正当の富貴ならば、之を得んが為に如何なる労苦を為すをも敢て厭はぬが、求むべからざる富を追ひ求め、之が為に道を枉げ自尊を傷くる如きは、到底忍ぶ能はざる処ゆゑ、其れよりは寧ろ吾が好む処の道に遵つて歩み、富貴の如き之を眼中に置かぬといふ気概を示されたのである。富の賤しきに非ず、之を求むる精神と手段とに往々賤むべきものあるを、大に慨き悲まれたのが、此の章句の趣旨である。
 維新の鴻業を大成するに与つて力のあつた元勲は、孰れもみな富を求めて立働いたのでは無い。西郷卿にしても、大久保卿にしても、木戸卿にしても、悉く国家の興隆を念として之が為に奔走せられたものだ。ただ、初め尊王攘夷を目標として起たれたのが、時勢に鑑みて尊王開国に其目標を変改せられたのみである。私の如き志士の末班を汚すに過ぎなかつた者ですら、国家の利益を思うて国事に奔走したものだ。維新の鴻業が彼の如く円満に遂行せられ、当時多少の動揺が国内にあつたにしても、昨今の露西亜に見る如き惨状を呈する事も無く、日本が能く今日あるを致したのは、固より国体の良い為でもあるが、維新の事業に当つた人々に私の心無く、改革によつて一身の富貴利達を計らんとせず、一に国家の前途を思ふ念が先に立つたからである。明治維新の先達になつた元勲に、若し一身を富まさんとする如き私心があつたならば、維新の鴻業も彼の如く容易に遂げ得られなかつたらう。兎角自らを富まさんとする念が先に立てば、人は道を踏み外すに至り易いものだ。西郷隆盛卿の詩にある如く、「子孫の為に美田を買はず」といふ心があつて人は始めて大過無きを得るものである。
 維新の元勲等に斯く自らを富まさんとする念無く、国家を思ふの念が先に立つたに就ては、私の稽ふる処では、孔子教の感化が与つて力があつたやうに思はれる。漢学の素養が維新の元勲をして一身の富貴栄達を棄て、身を以て国事に当るに至らしめたのである。前回談話したうちにも申述べ置ける如く、孔子教は修身斉家の道を説くに当つてもその帰着する処を「治国平天下」に置いたもの故、漢学の素養によつて孔子教に触れ、四書等を読んだ者が、何よりも国家を第一にするに至るのは誠に当然の事である。

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デジタル版「実験論語処世談」(36) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.256-264
底本の記事タイトル:二六〇 竜門雑誌 第三六一号 大正七年六月 : 実験論語処世談(卅六回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第361号(竜門社, 1918.06)
初出誌:『実業之世界』第15巻第6,7号(実業之世界社, 1918.03.15,04.01)