5. 楽翁公の「宇下人言」
らくおうこうのうげのひとごと
(36)-5
楽翁公が斯く尊号事件から責を引いて老中の職を辞さるるに当り、公私の機密書類を一と括めにして蔵め置かれたものが今日でも楽翁公の後胤たる松平子爵家に家宝として伝はつて居る。そのうちで幕府の公用に関する書類以外の私事に関する秘書は「宇下人言」と題する書冊となつて遺つてるが、如何なる趣意から斯の秘書類を「宇下人言」と題するに至つたものか、当初は私にも頓と理解らなかつた。然し、能く稽へてみると「宇下」は楽翁公の御名前である「定信」のうちの「定」の一字を二字に分解したもので、「人言」は「信」の字を同じく二字に分解したものだ。つまり「宇下人言」は、之を合すれば「定信」の二字になるから、近代語で謂へば「自叙伝」といふ如き意味になるだらう。その内容は私も拝見して知つてるが、御自身の生ひ立ちから奥州白河の城主松平定邦の養嗣子となられた次第、それから御自身の経歴なぞ詳細に書いてあつて、立派に自叙伝の体裁を具へたものだ。ところでその中には屡〻「これ丈けの事をしても先祖の霊は決して御咎めにならぬだらう」といふやうな意味の句が書かれてある。之によつて見ても、楽翁公が如何に斎即ちモノイミを重んぜらるる念を懐つて居られた御方であるかを窺ひ知り得らるるだらうと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(36) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.256-264
底本の記事タイトル:二六〇 竜門雑誌 第三六一号 大正七年六月 : 実験論語処世談(卅六回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第361号(竜門社, 1918.06)
初出誌:『実業之世界』第15巻第6,7号(実業之世界社, 1918.03.15,04.01)