デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一

4. 今でも深夜二時に眠る

いまでもしんやにじにねむる

(39)-4

 人に取つては働くといふ事が何よりも楽みであり、又不老不死の薬でもある。働いてさへ居れば憂ひは無くなるものだ。故に論語顔淵篇にも「君子は憂へず懼れず」と孔夫子は仰せられて居る。私は別に有徳の君子を以て目せらるるほどの人物でも無いが、自分の為さねばならぬと思ふ仕事だけは熱心に楽んでやれるので、之によつて凡ゆる憂を忘れ、憂へず懼れずになり得らるるのだ。
 又、人は、忙しく働いて居りさへすれば、老境に入るのも晩いもので、余り働かずブラブラして生活する者は兎角早く年寄るものだ。私も忙しく日々暮してるので老いの将に到らんとするを知らずどころか老いの既に来れるをも知らずに居る。私は既う誰でも御承知の通り、本年(大正七年)七十九歳で、老いが既に至つてるのだが、日々忙しく仕事に夢中になつて働いている御蔭で、さほど齢を取つたやうにも思はぬ。頭が耄碌してボケてしまつたなぞいふ事は無い。間違つた理窟を言つたり、間違つた事を考へたりせず、又他人の言ふ処を間違つて考察したりもせぬ積である。ただ記憶力が鈍くなつたやうに思ふ。大倉男爵や大隈侯なぞも亦老いの到れるを知らぬ人々で、今日八十歳前後になつても依然として壮者を凌ぐの概がある。孰れも仕事を楽んで忙しく働き、憂を忘れて居らるるからだ。之に反し、早く隠居なぞして閑日月を送つてる人は却て早く耄碌し、常に老いの至らんとするのを苦にし、間違つた理窟を言つたり、間違つた事を考へたりなんかして、七十歳に成るか成らぬうちからボケてしまふやうになるものである。若い時から引続いて働き、老年になつても之を廃めずに居りさへすれば、人は老いの既に到れることも知らずして、元気よく暮して行けるものだ。
 ただ、私が老年になつてから、何うも若い時分のやうに行かぬので残念に思ひ、自分で老いの到れるを自覚するのは、夜深かしのできぬ点である。私は自己の生産殖利事業から全く縁を断つてしまつた今日でも、いろいろと忙しくつて仕事が多い。依て隔日毎に深夜の二時頃までも起きて夜深しをやり仕事をすることにすれば毫も停滞無くみな片付いてしまふとは思ふが、什麽も七十九歳の今日では、私に其れができぬのだ。然し昨今でも仕事が停滞して来ると、一ケ月に一度や二度は猶且二時頃まで起きて仕事し、停滞した庶務を片付けることにする。現に、先月(大正七年四月)は余りに忙しくつて庶務の停滞が甚しかつたもんだから、一夜午前二時まで夜深しをして漸く之を片付けたほどだ。然しこれは月に一二回ならできるが、隔日続けてやるわけに行かぬ。ここらが私の老いた証拠だらうと思つてるが、朝は若い時分より却て早く起き得られる。若い時分には朝寝の癖をつけてしまつて、悪いとは思ひつつも午前八時前には床を離れなかつたものだが、年を取つてからは夏は午前六時、冬でも午前七時までには床を離れて起き得らるるやうになつたのだ。

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デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.291-300
底本の記事タイトル:二七一 竜門雑誌 第三六五号 大正七年一〇月 : 実験論語処世談(第卅九回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第365号(竜門社, 1918.10)
初出誌:『実業之世界』第15巻第14,15号(実業之世界社, 1918.07.15,08.01)