デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一

7. 武士は力自慢をせず

ぶしはちからじまんをせず

(39)-7

 維新の頃は世の中が物騒で、動ともすれば刃物三昧の盛んに行はれたものらしく今から想へぬでも無いが、苟も漢学でも修め武士道の何ものたるかを解して居つた者は、容易に刀の鞘を払ふ如き事をしなかつたものである。一寸した事にも斬るの撃つのと騒いで力自慢や技倆自慢をしたがつた者は、学問の素養に乏しい撃剣使ひぐらゐに過ぎなかつたのだ。然し、新撰組の隊長をした近藤勇とか或は又清川八郎なんかといふ男は、力を示したがる癖の人であつたと謂ひ得られようと思ふ。その他には私の知つてる維新頃の人で、力を誇りたがる傾向を持つてた人は一寸記憶に無い。
 臣にして君に反き、子にして親を弑するまでの無法を敢てし無くつても、何かにつけて平地に波瀾を起したがり、忠孝を無視して豪がつたりしたがる者が随分世間にはある。殊に功利主義の行はるる昨今の時世には、斯んな中庸を失した思想を懐いて得意とする者を多く出す傾向があり、如何にも慨かはしい事だ。人間は自己の利害のみならず他人の利害をも念とせねばならぬもので、自己の利益幸福のみに専念し、他人は何う成らうと構はぬといふやうな調子では、自己の利益幸福さへ之を全うし得られ無くなる故、人間に取つて他愛心は自己の生存上からも必要欠くべからざるもので、忠孝は、人間が其の最も手近な処に於て、他愛心を発揮する道であるとも謂ひ得るだらう。故に人は先づ忠孝によつて他愛の精神を涵養するやうに努めねば相成らぬものだ。慈悲、博愛、忍辱の基となるものは、実に忠孝の精神である。ただ、矢鱈に君に反いてみたかつたり、親を侮蔑してみたかつたりして、それを豪い人物たる資格であるかの如く心得てる人は是れ即ち危険思想の人で、こんな人間は、到底何事をも為し得られぬのみか、我身を全うする事だにできるもので無い。危険思想とは他無し、乱を好む心理作用である。斯る思想は、他人と社会とへは勿論危害を与へ、又、自分の身をも傷ふに至るものだ。乱に趣味を持つ如き人は、交際して居つても甚だ危険で心地悪しく、何時寝首を掻きに来るか測り知られぬ故、些かも気を許されず、始終用心して暮さねばならぬといふ事になる。昔から、忠臣は孝子の門に出づとの諺があるが、慈愛心は忠孝の門より出づるものだ。

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キーワード
武士, , 自慢
デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.291-300
底本の記事タイトル:二七一 竜門雑誌 第三六五号 大正七年一〇月 : 実験論語処世談(第卅九回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第365号(竜門社, 1918.10)
初出誌:『実業之世界』第15巻第14,15号(実業之世界社, 1918.07.15,08.01)