デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一

6. 怪力乱神は中庸の外

かいりきらんしんはちゅうようのそと

(39)-6

子不語怪力乱神。【述而第七】
(子、怪、力、乱、神を語らず。)
 孔夫子は、詩、書、執礼等人を善美に導く資けとなるやうな事ばかりを常に口にせられ、苟も道理の上から観察し到底あり得べからずとせらるる如き怪異不可思議の化物談じみたことや、徒に力を誇つて匹夫の勇を揮ふ如き話や、臣にして君に反き子にして親を弑せる如き悖徳の譚や、幽遠にして人智の能く測り知る処に非ざる鬼神に就ての議論なぞを、決して口にせられなかつたものであるといふのが、茲に掲げた章句の趣意である。
 怪しいと思はるる妖怪変化と雖も、之を深く研究すれば毫も怪むを要せざるものとなり、力自慢の勇士に関する物語と雖も、或は話し様の如何によつて士気を鼓舞する一助にならぬとも限らず、悖礼悖徳の革命にも亦、歴史的に観察すれば多少の意義を存し、鬼神に関する議論も、哲学上から観察したら全然無価値のもので無いやも知れぬが、人が、斯くの如き世間に普通で無い極端な事柄に趣味を持ち、絶えず怪、力、乱、神を口にして居るやうになれば、その人の思想は自づと平衡を失し、極端な行動を取つて得意とするまでになり、言行共に中庸を喪ふに至る恐れのあるものだ。これ孔夫子の取らざる処である。依て孔夫子は、断じて怪、力、乱、神を談るまいとの御決心をなされて居つたものらしく思へる。怪、力、乱、神を談らぬとは、つまり中庸の道を守らうとの心懸が盛んであらせられたとの意に外ならぬのである。
 怪異不可思議の事を信ずると否とは、必ずしも其人の学問、智識の程度によるものでは無いらしい。存外な学者で幽霊を信じたりする者がある。さうかと思へば又一方には、無学の者で一切妖怪じみた事を排斥し之を信ぜぬものがある。私なぞは是まで申して置いたうちにも屡〻談話した通りで、一切神いぢりといふものを致さぬのだが、若い時分には其れでも慰み半分に、淘宮術を覚えてやつてみた事がある。淘宮術には昨今大分信仰者があつて、之によつて日常の去就進退を決するほどの人も無いでは無いが、素は支那の天元術から来たもので、天保五年に幕府の御留守番同心組頭を勤めた横山丸三といふ人の案出した一種の術で、十二支、十干、八品などにより、自分の性状を知りその欠点病所を匡正淘冶せんとするのが趣意だ。易の乾兌離震巽坎艮坤によつて八卦を立つるのと同じく、陰陽学の一種であると観て宜しからう。昨今では、何んなものか知らぬが、私の若くつて能く遊んだ頃には、吉原の芸者なんかに之を信ずる者が却〻多くあつて、それらと一緒になつてる間に何時と無く私も其れを覚えたのだが、全くの慰み半分で、別に之によつて進退去就を決したりなんかしたわけでは無い。然し或る人々に取つては、之も亦坐禅の如く修身斉家の一法になるだらう。九星とても亦同様だ。
 白河楽翁公の如きは、学問もあり、智恵も優れ、精神の立派な人物であらせられたに拘らず、従来談話したうちにも既に申述べ置ける如く、幕府の老中に任ぜらるるや、自分の一命は素より妻子眷族の生命までも懸けて、窃に深川の聖天様へ起誓せられて居る。楽翁公に似合はしからぬ事だと思ふが、怪異を信ずると否とは、其人の学問なぞよりも、寧ろ却つて其人の教育、境遇に因ること故、楽翁公は出生が元来殿様なる為幼少の頃より奥女中なぞに、かの如き迷信じみた思想を吹き込まれて来た結果、我々から観れば馬鹿気て見ゆる如き起誓なんかを、誠心誠意の迸つた余り、敢てせらるるに至つたものだらうと思ふ。私の交つた維新の元老なぞにはこの迷信に属する怪異を信ずるやうな人は無かつたもので、井上侯でも伊藤公でも全く迷信がかつた事の無かつた人である。大隈侯なんかも勿論さうである。

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デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.291-300
底本の記事タイトル:二七一 竜門雑誌 第三六五号 大正七年一〇月 : 実験論語処世談(第卅九回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第365号(竜門社, 1918.10)
初出誌:『実業之世界』第15巻第14,15号(実業之世界社, 1918.07.15,08.01)