デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一

5. 阪谷男夫人の記憶力

さかたにだんふじんのきおくりょく

(39)-5

子曰。我非生而知之者。好古敏以求之者也。【述而第七】
(子曰く、我は生れながらにして之を知る者に非ず、古を好み、敏にして之を求むる者なり。)
 茲に掲げた章句は、孔夫子と雖も修業を積んで漸く彼の如くなられたものであるとの意を述べられたものだ。孔夫子の如き非凡の天品を有せられた大人物と雖も、修養によって始めて道に達し得らるるものだとすれば、孔夫子ならぬ我々凡夫は一層の修養を積まねば、一人前の人間には成り得られぬのである。
 世間では私が生れ乍らにして、非凡の記憶力を有つてる人間であるかの如くに謂つてるらしいが、私の斯の記憶力は生れついて自然にあつたものだとは思へぬ。これは私が自分一人だけで他人に見えぬやうにして実行してることなので誰も知らぬが、私は前条にも「三省」の章のところで一寸談話して置いたやうに、若い時から今日まで、毎日床に就て寝る前に、その日にあつた事を総て復顕して想ひ起し、朝起きてから、まづ第一に斯んな事があつた、その次には斯んな事があつたと、次から次へと、一日中にあつた事を残らず想ひ出して、それから寝に就くといふ習慣をつけて居る。八釜しく道徳的に謂へば、自ら其日の言行を省ることになつて、精神修養の上にも利益する処は多いが、第一、記憶力を養成発達さする上に其効が頗る大で、若し私が多少なりとも秀でた記憶力がありとすれば、それは斯く毎夜寝に就く前に其日に起つた凡ゆる出来事を想ひ出して復顕する習慣をつけたのに因る処が多いだらうと思ふのだ。
 大隈公も記憶力に於ては実に非凡なもので、能く何んでも記憶して居られる。智力の優れた人は大抵記憶力の秀でたところのあるもの故記憶力の如何によつて其人の智力如何を判定しても大過無きほどだが私の娘で阪谷男爵の夫人になつてるコト子は、別に大した学問があるといふでも無いのに、不思議に年月日に関する記憶が正確で、何年の何月何日には何んな事件があつたといふことを能く記憶して居る。故に私の一族では、斯んな事は何時あつたかと誰も忘れてしまつてるやうな時には、之を阪谷男爵夫人に聞いてみる、必ず之を記憶して居つて、何月何日だと知らしてくれる。為に私の一族は頗る重宝して居るのだが、年月日のみを記憶して居るわけにも行かぬもので、年月日を記憶して居ると同時に、事件の梗概をも記憶して居るのだ。大隈侯の記憶力も非凡だが、伊藤公の記憶力も実に非凡なもので、学問上の事でも何んでも能く記憶して居られたものだ。阪谷男爵夫人は学問がさまでに深いといふのでも無いから学問上のことは覚えても居らぬが、年月日に関した記憶力の非凡なのには私も時折驚かされる。

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デジタル版「実験論語処世談」(39) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.291-300
底本の記事タイトル:二七一 竜門雑誌 第三六五号 大正七年一〇月 : 実験論語処世談(第卅九回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第365号(竜門社, 1918.10)
初出誌:『実業之世界』第15巻第14,15号(実業之世界社, 1918.07.15,08.01)