デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一

2. 唐子西の「古硯銘」に就て

とうしせいのこけんめいについて

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 米屋の大会で私が演説した趣旨は、大要斯うであつた。
 私は七十七歳の喜の字祝ひの年齢を迎ふると共に、自己の生産殖利事業とは一切の関係を絶ち、実業界から全然引退してしまつたが、それでも国民を辞職して陛下に対する義務から逃れるわけには行かぬのである。恰度それと同じやうに、如何に生産殖利の事業を離れたからとて、私も日本国民の一人として生きて行かねばならぬ以上は、どうしても米を食はねばならぬのだ。生産殖利の事業と一切縁を断つてしまつたから米は明日から食はぬといふわけに行かぬのである。私のみならず、苟も日本人で米を食はぬといふ者は唯の一人も無い。随つて米屋商売は日本で最も重要な家業であると同時に又貴い商売である。然るにこれほど日本で重要な商売でありながら、今度の戦争で其処にも此処にもうようよと成金が出来、鉄成金、船成金なぞの多く現出せるにも拘らず、米屋で成金になつた者はまづ以て一人も無いと称して不可無しだ。私は元来成金を好まず、自分も成金とならず又成金にならうともし無いのであるから、米屋に今度の戦争で成金になつたものの無いといふ事は、頗る愉快に感ずる処である。――まづ冒頭に斯う話して置いて、それから「古文真宝」にある唐の唐子西の「古硯銘」の文を引照し、更に談話を進めたのである。
 ――硯と墨と筆とは用途を等しうするもので、同じく書画を認めるに用ひられ、硯のある処には墨あり墨の在る処には必ず又筆がある。然し、その寿命に至つては三者各〻其の期を異にし、硯は年を以て寿命とするほどで、幾年経つても殆ど同じだが、墨は摺つて使ふうちには減つてしまつて影も形も無くなり、唐子西の語を以てすれば、その寿命は月を以て計らねばならぬものである。筆に至つては一層寿命が短く、五六日も激しく使へば既う寿命が切れて使用に堪へ得られず、棄ててしまはねばなら無くなる。かく、硯と墨と筆との間に寿命の相違を生ずるのは、筆は最も多く動くもので、墨之に次ぎ、硯は殆ど動かぬものであるからだ。兎角動くものは寿命が短く、動かぬものは寿命が長いのが法である。さればとて、何んでも動きさへせねば寿命は長いかといふに、爾うでも無い。仮令へば筆を動かさずに之を其儘臥かして置いたからとて、迚ても万年の寿命を保ち得らるる望無く、そのうち虫が食つて猶且使へなくなり寿命を喪つてしまふに至るが如き乃ち其の一例である。蓋し、筆は動を以て其用の体とするに拘らず、之を動かさずに其儘静かにして置くからだ。硯は動かさずに置くので寿命の長いものであるには相違無いが、よしや之を動かしたからとて爾んなに早く磨滅してしまふものでも無い。蓋し硯は静を以て其用の体とするからである。

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唐子西, 古硯銘
デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.301-309
底本の記事タイトル:二七三 竜門雑誌 第三六六号 大正七年一一月 : 実験論語処世談(第四十回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第366号(竜門社, 1918.11)
初出誌:『実業之世界』第15巻第16,17号(実業之世界社, 1918.08.15,09.01)