デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一

3. 仲小路農相の米価調節策

なかしょうじのうしょうのべいかちょうせつさく

(40)-3

 総て何物に就ても其用の体に従つて之を用ひ、其用途を過らぬやうにするのは頗る大事なことで、適材を適所に配し、其処を得せしむるといふのも、畢竟するにこの意の外に出でぬのである。硯は静を以て其用の体とするが故に、これを静かにして置けば其存在の意義を全うして寿命長く、筆は動を以て其用の体とするが故に、之を動かして頻繁に使へば、寿命は短いが茲に其存在の意義を全うし得らるるのだ。世間の数多い職業のうちにも、亦硯の如く静を以て其用体とするものもあれば、筆の如く動を以て其用体とするものもあり、又、硯と筆との中間に位する墨の如き用体のものもある。米屋は之を譬ふれば唐子西の「古硯銘」にある硯の如きもので、静を以て其体とし、動きの少ない商売である。動かぬ商売である丈けに、又、利が薄く、今度の戦争があつても船や鉄のやうに激しい変動は米価の上に来らず、随つて米屋で成金になつたものは殆ど一人も無いのだ。然し、かく米価は変動の少いものである丈けに、又、米屋で躓いて破産する者なんか至つて稀である。孰れかと言へば米屋は頗る安全な商売だ。危険が少い。米屋を商売にする者は、斯く危険の少いのに満足し、如何に利益が薄いからとて之に不平を懐かず、悦んで其家業に励精し、之で日本国民の生命を繫いで行くのだとの大抱負の下に、如何にすれば米価を安くするを得べきかを考慮し、農作法の改良、取引法の改善等に意を注ぎ一所懸命業務に励むべきである。市価に変動多く、動を以て其性質とする如き商売は、利益の多い代りに又、危険も多く、誰でも行れるといふ商売では無い。寧ろ、米屋商売の安全なるに如かずである。――斯う私が演説したのであるが、それが幸ひにも来会者の気に入つて大にウケたのは、私の頗る愉快とする処である。
 それに就て思ひ起したのは、昨今喧しい米価問題だ。これは私が米屋の総会でした演説とは全く何の関係も無い事だが、仲小路農相の如く、政府の干渉によつて果して米価を引き下げ得らるるものか如何かは随分問題であらうと私は思ふのだ。世の中といふものは何に限らず絶えず動いて居るもので、寸時たりとも静かにして止つてるものは無い。上りもすれば下りもする。物価に絶えず変動の生ずるのも、世の中が絶えず動いて居るより来る事である。世の中にある総ての物が動き、随つて物価の動くのが天則であるのに、独り米価をのみ人力によつて動かぬやうにしようとしても、それは到底できるもので無い。

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デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.301-309
底本の記事タイトル:二七三 竜門雑誌 第三六六号 大正七年一一月 : 実験論語処世談(第四十回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第366号(竜門社, 1918.11)
初出誌:『実業之世界』第15巻第16,17号(実業之世界社, 1918.08.15,09.01)