4. 多少の干渉は必要なり
たしょうのかんしょうはひつようなり
(40)-4
維新前、江戸の町奉行は其命令によつて市内の米価を一定さした事がある。殊に之は天保の頃に劇しく行はれた模様であるが、昨今仲小路農相の米価引下げに就て腐心せらるる状態を観るに、或は仲小路農相は昔の町奉行気取りになつて居らるるのでは無からうかとも思ふ。然し、昨今は非常の時であるから、多少人力によつて干渉し米価を引下げるやうにせねばならぬものかも知れぬ。一体今度の欧洲戦争といふものが頗る不自然のものであるのだから、その間に米価の騰貴などに就ても、不自然なところがあるに相違無いのだ。この不自然を矯めて米価を自然のものとするには、猶且多少は不自然な干渉を政府の手で試みねばならぬ必要もあらう。この点に於ては、私も仲小路農相の策に飽くまで反対の意見を懐くもので無いのである。ただ、之によつて政府の力を過信し、政府の力を以てさへすれば何事でも成らぬといふ事無く、米価も之を意のままに動かし、黒い物をも白くし得らるるものだと仲小路農相に考へられては甚だ困る。
- デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一
-
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.301-309
底本の記事タイトル:二七三 竜門雑誌 第三六六号 大正七年一一月 : 実験論語処世談(第四十回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第366号(竜門社, 1918.11)
初出誌:『実業之世界』第15巻第16,17号(実業之世界社, 1918.08.15,09.01)