デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一

6. 新撰組の壬生浪人三名

しんせんぐみのみぶろうにんさんめい

(40)-6

 近藤勇の新撰組には随分乱暴な人間も加はつてたが、中にも斯の新撰組に属する壬生浪人といふ仲間は、壬生に居住し、能く乱暴を働いて良民を悩ましたものである。或る晩のこと、私が或る者を預つて私の宿所に伴れて来て居ると、その壬生浪人三人ばかりが之を聞きつけて非常に怒り出し、什麽しても自分等の方へ渡してくれと人を以ての催促である。然し、私も妙な行き懸りで之を先方へ渡してやる気になれず、昔から窮鳥懐に入れば猟師も之を撃たずといふ譬もあるほど故飽くまで其者を庇護ふ事に所存の臍を固めたのである。すると壬生浪人共は、そんなら腕力に訴へても奪ひ取つて見せるといふ意地張になり、喜作が私と姓が同じいところから、同じ渋沢違ひで同人を私と間違へ、喜作の宿所へ突然押し懸けて行つたのだ。然し喜作は壬生浪人から彼是云はれるやうな者を庇護まつてる覚えが無いから、其旨を答へ「多分人違ひであらう」と申開くと、そんなら栄一だらうといふので、その壬生浪人三人は喜作の宿所から転じて私の宿所へ押しかけて来たのである。
 喜作の宿所には一人大層気の悧いた下男があつて、それと看て取るや、必ず栄一の宿所へ浪人共が押し懸け来るに相違なしと思ひ、浪人共の先を廻つて宙を飛んで私の宿所へ駆け来り、既に寝に就いてた私を起し「其うちに壬生浪人共が押し懸けて来るから御用心なさい」と注進してくれたのである。然らば必ず押し懸け来るに相違無しと、私も多少の準備をして宿所の戸を堅く締めて待つてると、果して今の十時過ぎ頃になつてから、壬生浪人三人ばかりがやつて来たのである。裏口の方へ廻つて戸を開けろと切りに騒いだが、私が「什麽しても開けるわけには行かぬ、用があるなら戸外から言へ」と答へると「戸を開けられぬなら開けられぬで宜しいから庇護まつてる者を速に渡せ」といふのだ。私は其れもならぬと答へると、「そんなら戸を破つて踏み込んでも奪ひ取る」と浪人共は立ち騒ぐのである。そんな浪藉者に一旦私が庇護まつた者を手渡しては、何んな酷い目に遇はせるか知れぬ故、「愈よ以て渡すわけには相成らぬ。若し強ひて戸を破り家内に侵入するに於ては当方でも其儘には捨て置かぬ。相当の抵抗も致すから左様心得ろ」と申述べ、私も時宜によつたら、血を見ねばならぬやうになりはせんかと心配し、浪人共も頗る殺気立つて見えたが、そのうち私の庇護つて置いた者が「是非自分を外へ出してくれ。貴公へ私の事から御迷惑を懸けては相済まぬから……」と、私の抑止るにも拘らず何時の間にか素足で飛び出してしまつたのだ。それで浪人共は目的を達したもんだから、その者を引立てて去つてしまつたが、一時は却〻の騒ぎで、私も結局何うなることかと心配したほどである。後日に至り、この夜の事件が隊長近藤勇の耳に入り、三人の壬生浪人は近藤から甚く譴責されたさうである。

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キーワード
新撰組, 壬生, 浪人, 三名
デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.301-309
底本の記事タイトル:二七三 竜門雑誌 第三六六号 大正七年一一月 : 実験論語処世談(第四十回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第366号(竜門社, 1918.11)
初出誌:『実業之世界』第15巻第16,17号(実業之世界社, 1918.08.15,09.01)