デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一

1. 米屋の総会で演説す

こめやのそうかいでえんぜつす

(40)-1

 同じく多人数の寄り集つた場所で講話をするにしても、聴いてくれてる人々にそれが感応すると否とで、自分の談話の実の入り方も自然違つてくるものだ。迚ても渋沢は出席せぬだらうと思つてる処へ私が忽然現れて演説でもすれば、会衆が意外に之を歓んで、つまらぬ私の意見でも熱心に聞いてくれるやうな場合なぞもある。そんな時には私も亦意外に話勢が弾んで、長談義になるやうな事が無いでも無い。最近に於て、米屋の総会で私が演説したときなんかは、自分ながらも不思議に気が進んで、思はず熱心になつたかのやうに思ふ。畢竟集つた米屋さん達が、私の演説に感応してくれたからであらう。会衆の感応すると否とは、談話をして居るうちに、妙に其れと感知して来るものだ。
 私は仏蘭西から帰つて来て実業で身を立てようとした時から、日本で一番大切な物産は米と生糸とであると考へ、同姓の喜作が実業に就かうとする際にも之に勧めて糸屋と米屋を開店さした次第は既に談話したうちにも述べて置いた通りであるが、喜作の子の義一は横浜に糸屋を持つてると同時に、今日でも東京の深川に廻米問屋を経営して居る。同所の渋沢商店が乃ち其れだ。こんな関係から、年々開会せらるる全国の米屋を網羅する総会を本年は私の王子の邸内で開くやうにしたら何うだらうとの議が起り、私も之に同意したので、本年の総会は私の王子の邸内で開かるる事になつたのである。私は会場の主人であるからといふので一席の談話をするやうにと頼まれ演説したのだが、全国から集つた米屋さんの数は千三百人ほどもあつたらう。皆能く熱心に面白がつて聞いてくれたもんだから、私もつひ乗地になつて話したのであるが、中には越後から来た人なぞもあつたものと見え、六月上旬(大正七年)北越地方を巡遊した際に遇つた人で、「どうも米屋の総会で御演説に成つたうちの、国民の辞職だけはできぬとの御話は大変面白く拝聴しました」なんかと言つてくれた者もある。

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キーワード
米屋, 総会, 演説
デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.301-309
底本の記事タイトル:二七三 竜門雑誌 第三六六号 大正七年一一月 : 実験論語処世談(第四十回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第366号(竜門社, 1918.11)
初出誌:『実業之世界』第15巻第16,17号(実業之世界社, 1918.08.15,09.01)