デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一

5. 二十六歳暴徒に襲はる

にじゅうろくさいぼうとにおそわる

(40)-5

子曰。天生徳於予。桓魋其如予何。【述而第七】
(子曰く、天、徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せん。)
 茲に掲げた章句は、従来談話致したうちにも屡〻引用した処のもので、孔夫子が衛より宋へ赴かれんとする途上、大樹の下に弟子等を集め、礼に就ての訓話をして居られる最中に、宋の司馬桓魋なる者が、孔夫子に宋へ来られては自分が我儘を致す事ができ無くなるからとて兵士に命じ其大樹を抜き倒させ、孔夫子圧殺の陰謀を目論だ時に、之を知られて弟子等の心を安んぜんとして発せられた語である。
 世の中には天変地異といふものもあるから、如何に孔夫子の如き聖人と雖も、大地震が起りでもすれば、家が潰れて其の下敷となり、死んでしまはれぬとも限らぬ。現に藤田東湖の如きは、安政の江戸大地震に、母親を広い庭先に避難させようとした折、梁木の落ちて来るのに出遭ひ、之に圧されて落命して居る。然し、常に自分の身を慎み、省みて疚しからざる生涯を送つて来た者は、必ずしも孔夫子のみならず、誰でも皆、天、徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何にせん」との自信を生ずるやうになるものだ。私とても、別に孔夫子ほどの聖人では無いが、多年の経験によつてこの自信を得たかのやうに思ふ。私と孔夫子との間には凡と聖との差こそあれ、孔夫子とて同じく私と等しい人間であらせられる以上、私の経験に照らし、孔夫子が「天、徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せん」の自信を感得せらるるまでになられた径路が私には能く解るのである。いろいろと深い経験を積み、三十にして立ち、四十にして惑はず、五十にして天命を知るといふほどになつてしまへば、如何に邪な人間共が自分を故意に殺さうとしても滅多な事で殺されるもので無いぐらゐの信念を持つに至るのは、誰とて当然の事である。孟子が「内に省みて疚しからざれば、千万人と雖も我れ行かん」といふ如き意気天を突く自信を得たのも、猶且同様の径路によるもので、世故に長じ学問を積んでくれば、誰でもみな斯うなるものである。
 東京市水道鉄管事件で、私が暴徒に襲はれた事のあるのは既に談話したうちにも一度申述べて置いたが、猶ほ私は二十六歳で京都に在つた頃、浪人に押しかけられて将に血を見んとするに至つた事がある。これは或る弱い者を私が庇護つたのが原因で起つた事件だ。

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デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.301-309
底本の記事タイトル:二七三 竜門雑誌 第三六六号 大正七年一一月 : 実験論語処世談(第四十回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第366号(竜門社, 1918.11)
初出誌:『実業之世界』第15巻第16,17号(実業之世界社, 1918.08.15,09.01)