8. 大久保刺殺当時の回顧
おおくぼしさつとうじのかいこ
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当時既に東北の開発を計らねばならぬと云ふ意見は、廟堂にも民間にも盛んであつたので、之が為是非東北に一の良湾を発見して築港を急ぐべきであるといふ事になり、いろいろ踏査もしてみたが、石巻も駄目、釜石も亦駄目だから、北上川を中断して運河を開鑿すると共に宮城県野蒜の港に築港工事を施すのが第一の得策であるとの意見が、和蘭人ハンドルンによつて提唱せられ、政府もこのハンドルンの意見を容れ、四五百万円――此頃では大した金額でも無いが、当時としては相当の大金を之に投じて、野蒜の築港を決行することになつたのである。然るに政府には勿論財源が無い。依て百万円の起業公債を民間から募集することになつたのだ。
政府は其の前にも公債を発行した例が無いでも無いが、その一は旧藩制時代の各藩の負債を新政府が受け継いで発行したもので、他の一つは旧禄の代りに発行して士族へ交附した金禄公債証書である。証券と引換に現金を受取つた真の意味に於ける公債を発行するのは、野蒜築港費に充てる為の四百万円の起業公債が維新以来最初であつたのである。之が売出しを今日の引受シンヂゲートの如き形式で第一国立銀行が引受けることになつたので、私は其用務を帯び、暫く東京を留守にし、東北地方を巡回して帰京すると、其留守中に大久保公が刺客によつて殺されたといふ事を聞いたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(40) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.301-309
底本の記事タイトル:二七三 竜門雑誌 第三六六号 大正七年一一月 : 実験論語処世談(第四十回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第366号(竜門社, 1918.11)
初出誌:『実業之世界』第15巻第16,17号(実業之世界社, 1918.08.15,09.01)